神社に参拝したときに、そこに鎮座される神様が歓迎してくれているサインとされているものは、大抵以下の3つくらいだといわれています。
- 参拝前は無風だったのに、ごあいさつした瞬間に風が吹く
- 風もないのに、神社の紙垂(しで。拝殿や鳥居の頭上にあるしめ縄に挟まれている、ギザギザ状の白い紙)が揺れる
- 鳥(特にホトトギスやカラス)が鳴き始める
これに加えて、第六感的な能力を持っている方は、神様の姿を直接見たり、声を聴いたりという場合もあるようです。
歓迎のサインを見つけた時は、とてもうれしいと感じられますし、素直に神様にお礼を言うとよいと思います。
ただ、私がここで「歓迎のサイン」について述べるのには、理由があります。
それは、こうしたサインが訪れにくい方がいることに心を配ることが大切だからと思うからです。
そのような「歓迎されづらい」方たちには、単純に肉体的に疲れている場合もありますが、苦しさのあまり神様にすがろうとしたり、あるいは理不尽な仕打ちや他人に対する恨みつらみをため込んでしまっていたりすることが多いです。
歓迎サインが訪れた人には、あまりの嬉しさに調子に乗ってしまい、サインが訪れなかった人をけなしたり上から目線になったりせず、その方の苦しみを取り除いていただくよう神様へお祈りすることが求められます。
神様による歓迎は、あなたが神様が喜ぶようなこと、つまり世のため人のために何かを成し遂げられる人間だと神様に見込まれたということも意味します。
その第一歩として、目にした「歓迎のサインが訪れにくい方」の安寧を神前で祈ることをお勧めしています。
「情けは人の為ならず。まわりまわって己(自分)のため。」
他人のために祈ることで、結果的に自分の徳が増えていきます。
だから、自分のために喜ぶのはよいのですが、同時に苦しい立場にいる方々にも心を寄せたいですね。ただ相手の安寧を祈ることは、費用も時間もかかりませんから、その場で気軽にできる人助けなのだと思います。
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