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6月, 2022の投稿を表示しています

Shimabara, a historical site showing old Geisha culture

Kyoto has several places where Geishas (芸者) get together and serve. Currently, Gion (祇園) located in Higashiyama is famous: many foreign tourists crowded before the Pandemic. In history, there was a more gorgeous high-class place known as Shimabara (島原) where the Geishas were required to be beautiful and well-educated to welcome guest with high social status and money; Shimabara wasn ’ t only a Geisha quarter but also a luxury salon as a place of flourishing culture and literature. Brief history Shimabara, formally named as “Nishi Shin-yashiki (西新屋敷) ”, originates in Nijo Shin-machi (二条新町) to which Toyotomi Hideyoshi ( 豊臣秀吉 ) gave an official license as a brothel town in 1589. It was moved to Rokujo Misuji-machi (六条三筋町) in early Edo period and finally settled in the current place in 1641. Shimabara had a staffing service for Geisha: Geishas usually settled in dormitories (Oki-ya/ 置屋 ) and commuted to restaurants/salons ( Age-ya/ 揚屋) to serve guests over meals upon requests from the

角屋(すみや)、京都島原に残る花街の面影

桃山時代から江戸時代にかけて、栄華を誇った京都の花街、島原。 (前回の記事は こちら ) 現在は住宅地となっているその一角に、島原の文化を後世に伝えていくことを目的として、当時の揚屋である「角屋」の建築がそのまま保存されています。有料ですが、ガイドさんの説明付きで内部を見学することができます。 島原では、花魁や太夫の生活の場としての「置屋」と仕事場である「揚屋」(料亭)が別になっており、彼女たちは仕事の都度、置屋から揚屋へ出勤していたようです。その揚屋の中でも、この角屋は格式が特に高く、内部のしつらえも大規模な寺院や武家屋敷と同格の調度品を使用しています。ガイドさんによると、角屋が接待する客は、要人から富裕層などそれなりに地位を有する者に限られており、いわゆる「一見さんお断り」が根付いていたようです。 施設内で見学できるのは、併設されている展示室のほか、 1 階にある台所、座敷 2 室と中庭、そして2階部分です。1階は主に料亭として裏方(台所と帳場)、そして客をあしらう宴の場に分かれており、一方2階は客と花魁や太夫たちが交流を深める場となっているようです。今回は予約せずに伺ったので、見学できたのは1階部分のみ。2階の見学は完全予約制( + 別料金)となっているため、今回は断念いたしました。   防災と防犯 料亭というだけあって台所はとても広く、かまどは全部で 7 つほど。かまどがすべて稼働すると、目の前が見えなくなるくらいあたりは煙が充満するため、天井屋根に換気窓が複数設置されています。また、火災時の用水用井戸を細かく設けることはもちろん、延焼しないようにあえて建物を打ち壊す長刀が常備されているなど、台所が火の元になり得ることに配慮された仕掛けが至る所にみられます。 防犯の観点では、当時は武士をもてなすことが多かったため、酔った勢いで店内が修羅場にならないよう、正面玄関で刀を預けるルールとなっていたようです、その名残として、玄関には傘ならぬ「刀の置き場」、特に上級武士専門の「刀箪笥」が残っています。 玄関の軒先にある柱には新選組による刀傷が残っていますが、同じような傷が店内にはいっさいに残っていないことからも、幕末の動乱にあっても店内では殺傷に発展しないよう店側が気を張っていたことが伺えます。   座敷 客

京都の島原

京都の花街といえば、あでやかな芸者さんや舞妓さんの行き交う東山の祇園や上京の上七軒などが思い浮かびますが、かつては「島原」という大いに栄えた場所がありました。正式には「西新屋敷」とよばれたこの花街は、西本願寺から徒歩圏内にあり、男女の情を交わす遊郭としてだけでなく、俳諧などの文化も発達した一大教養地区でもありました。 そのためか、他の花街と違って非常に格式が高く、高位の武家や富裕層などの相手を務めるために、島原で活躍する太夫や花魁のような女性たちには容姿端麗なだけでなく、教養の高さも問われていました。 島原の栄枯盛衰 島原の起源は、 1589 年に豊臣秀吉が営業許可を与えた「二条新町」であり、江戸時代に入ると「六条三筋町」に移転しています。その後、突然の命令により現在の場所に移転せざるを得ず、このバタバタの顛末が長崎で起きた「島原の乱」のようだとの話から、俗称としての「島原」が定着しました。 江戸の一大花街「吉原」では、高い壁で花街を完全に覆い、中で働く女性は殆ど外に出ることは許されませんでした。無断で外に出ようものなら、厳しい仕置きが待っていたといわれています。これに比べて、島原は比較的緩く、通行手形など一定の規定はあったものの、花魁や太夫たちは自由に花街の外へ出られたようです。 また、いわゆる性的なサービスは島原のごく一部でしかなかったようです。実際、華やかな宴に美味な食事が楽しめ、また俳諧などの教養といった文化の中心地としての側面も強かったためか、一般の女性が中に入ることにもあまり抵抗はなく、花魁の中には自分の母親を花街で遊ばせていたものもいたようです。周囲の市民との共存がしっかりできていた、ということでしょうか。 幕末時代では、新選組に関わる種々の事件が起きるなど歴史的な舞台としても有名です。しかし、明治時代に入ると鉄道の発展に伴い、花街の中心が祇園などに移っていく中で、島原は衰退していきます。現在、当時の面影を残す「大門」や一部の施設、あるいは唯一当時のまま花街の業態を維持している「輪違屋」を除いて、島原地区は一般の住宅街となっています。 地区内には、当時の建物を保存し、島原の文化を伝える「角屋」という施設があり、見学料を払えばガイド付きで案内してくれます。詳細は、次回につづく。

Recent Thought

 The recent  military conflict in Ukraine, caused by Russia (more preciously by the President Putin), generated a sense of justice against Russia’s action globally but in a westernized manner; western nations with those who are in alliance stepped into economic sanctions onto Russia and support for Ukraine while pro-Russia ones typified by China didn’t come along with them.  The sanction was decided quickly after Russia’s militaristic action in Ukraine and it was expected to help the conflict cease.      The expectation backfired eventually. The conflict has been still going on. The sanction struck back to the world outside Russia and its friends; the commodity price kept rising sharply, the supply-chain paralyzed. Russia was quite dominant on global industry by supplying oil, gas, rare earth/metals and key components to semiconductors which is in great demand for realizing connectivity of all the things through internet or IOT. The sanction ironically made us realize their dominance

読書感想文『王とサーカス』

米澤穂信氏の『 王とサーカス 』。 数年前に読んだこの本の結末は、今でも思い出すくらい自分にとって教訓ともいえる内容でした。   あらすじ 新聞社を退職し、フリーランスとして海外旅行雑誌の取材のためにネパールに来た日本人の記者。 仕事兼バカンスのつもりで優雅な時間を過ごそうと思ったら、、、ネパール王族を巡る殺人事件に 遭遇してしまい、記者魂に火が付いた主人公はさっそく取材を開始する。 調べを進めて行くうちに判明した、とある多国籍企業とネパールの関係性・・・。 そして、「異邦人のお前に、真実がわかるのか?」と挑戦するかの如く、主人公の前に新たな 遺体が転がる。危険を顧みず主人公が見つめた事件の真相とは。。。   感想 クライマックスで分かる真犯人の正体とその動機が、ネパールが発展途上の国であるが故の悲しみに 根付いていて、胸が締め付けられる思いがしました。 世界的な巨大企業は途上国の人々の人権をないがしろにして、安い賃金で過酷な労働を 強いている。だから、そんな企業の商品は買わず、もっと現地の人に寄り添った商品とサービスを選ぼう。 前から言われていた世界企業の問題点、トランプ氏が米国大統領になったころから陰謀論とともに より広く強く唱えられるようになりました。 たしかに、現地の人々に寄り添い、彼らの権利を保障することは大事です。 私も国際関係論を学んだものとして、ずっと大切にしてきた思いですし、今もそれは変わりません。 でも、『王とサーカス』の結末に触れた時、それは私たち先進国のエゴ、豊かな国で育ったが故の ゆがんだ正義感ではないのか、という疑念も持ちました。   詳しく書くとネタバレになってしまうので言葉を選びますが、この物語の真犯人の動機は、まさに そうした「途上国で生きる人々のことを本当に理解していない、豊かな国の人々がもつ迷惑な 正義感」に対する復讐、というものでした。   ウォレス・ワトルズ氏の『富を引き寄せる科学的法則』 ( 1910 年発表)には、貧しい人を支援してはいけない、彼らが自分で儲ける仕組みを 与え、学ぶ機会を作ることが最善の方法、と書かれてあります。 同じように、途上国の人々に寄り添うなら、搾取する世界企業をたたいて正義を振りかざして 「助ける」のではなく、彼らが自立して、そんな企業

神様がおられるサイン

神社に参拝したときに、そこに鎮座される神様が歓迎してくれているサインとされているものは、大抵以下の3つくらいだといわれています。 参拝前は無風だったのに、ごあいさつした瞬間に風が吹く 風もないのに、神社の紙垂(しで。拝殿や鳥居の頭上にあるしめ縄に挟まれている、ギザギザ状の白い紙)が揺れる 鳥(特にホトトギスやカラス)が鳴き始める これに加えて、第六感的な能力を持っている方は、神様の姿を直接見たり、声を聴いたりという場合もあるようです。 歓迎のサインを見つけた時は、とてもうれしいと感じられますし、素直に神様にお礼を言うとよいと思います。 ただ、私がここで「歓迎のサイン」について述べるのには、理由があります。 それは、こうしたサインが訪れにくい方がいることに心を配ることが大切だからと思うからです。 そのような「歓迎されづらい」方たちには、単純に肉体的に疲れている場合もありますが、苦しさのあまり神様にすがろうとしたり、あるいは理不尽な仕打ちや他人に対する恨みつらみをため込んでしまっていたりすることが多いです。 歓迎サインが訪れた人には、あまりの嬉しさに調子に乗ってしまい、サインが訪れなかった人をけなしたり上から目線になったりせず、その方の苦しみを取り除いていただくよう神様へお祈りすることが求められます。 神様による歓迎は、あなたが神様が喜ぶようなこと、つまり世のため人のために何かを成し遂げられる人間だと神様に見込まれたということも意味します。 その第一歩として、目にした「歓迎のサインが訪れにくい方」の安寧を神前で祈ることをお勧めしています。 「情けは人の為ならず。まわりまわって己(自分)のため。」 他人のために祈ることで、結果的に自分の徳が増えていきます。 だから、自分のために喜ぶのはよいのですが、同時に苦しい立場にいる方々にも心を寄せたいですね。ただ相手の安寧を祈ることは、費用も時間もかかりませんから、その場で気軽にできる人助けなのだと思います。

正しい参拝マナー

神社参拝時に神様に不敬とならないように、マナーに気を付ける方が結構多くおられます。 それだけ神様を大切に思ってくれているということだから、個人的にはこうした方々を見るとうれしく思います。 その反面、その「正しさ」にとらわれすぎて、あれこれ細かく確認したり、少し間違えただけで不安になってしまう方も多いと感じられます。 参拝マナーで不安に思ったときは、まず神社で奉職されている神職さんや巫女さんに聞いてみるとよいでしょう。 また、スピリチュアル系の勉強をされていて、独自の参拝方法をお持ちの方であれば、それを実践されてもよいと思います。 大事なことは、神前で正直な姿を見せることです。それさえできれば、よほど不敬でない限りどのような方法でも問題ないと思います。 むしろ、マナーの正誤にとらわれすぎて肝心な部分が疎かになってしまえば、本末転倒です。 私は、神職さんがおられない場合は特別な方法で神前に伺いますが、神職さんがおられるときは、素直にご案内頂く方法で応じるようにしています(どちらにしても、神様にとっては目の前に私という人間が現れた、という意味では同じことだと思いますし)。 なお、私と一緒に参拝される際、この特別な方法を聞きたがる方がたくさんおられますが、本当に知ろうとする熱心な方以外にはあまり細かく案内していません。 最低限のポイント 神社参拝で、私が一番気を付けていること。 それは、地面です。 そう、私たちが足を踏みしめ、歩いている大地のことです。 なぜ大地なのかについては、 以前の記事 にまとめていますので、興味があれば読んでみてください。 本殿や拝殿といった神社の建造物は、もちろん有難く素晴らしいものだと思います。 奉職される神職、氏子や参拝者の皆さん、建設や維持を手掛ける宮大工さんたちの技術と気持ち、日本の文化などがこもった大切なものです。 ただ、それはあくまで神様を思う人々が手掛けた、いわば人工物です。 一方、神社が存在する土地そのものは、そのような人工物が建設されるはるか昔から存在するもので、個人的に神様は本殿ではなく、その土地に鎮座されていると考えています。 そのイメージは、「地涌(じゆ)」。「地面から涌き出る」という意味の仏教的な言葉であり、例えると「温泉」のような感覚です。 山形県にある湯殿山神社は、創建から1,000年以上の歴史を有する古社で、羽黒山、

神社で何を祈るか

神社に参拝し、拝殿で神様と対峙するとき、皆さんは何を思っているでしょうか。 願い事、悩みごとへのアドバイス、感謝、ご挨拶。。。 10 人いれば、 10 通りの方法がありますし、何が正解なのかもわかりません。   よく、神社ではお願い事をしてはいけない、神様にありがとうを伝えたほうがよいと耳にします。 また、自分が成そうとしていることへの覚悟を宣言して、神様のお力を頂くという考えの方もいます。 そうは言いつつ、金運上昇、病気平癒、恋愛成就といったお願い事をすることもあるでしょう。   そのどれもが正解であり、間違いはありません。 優劣や善悪もありません。 あなたが考えたことが受け入れられるかどうか決めるのは、神様ご自身。 神様の考えることなんて人間が気軽に知り得ることでもないので、あまり深く考えずに、 正直な気持ちを神様に伝えればよいと思います。 神様や他人を呪うような内容でなければ、罰が当たるようなこともないでしょう。   私が神社に参拝するときは、次のようにしています。 何か願い事がかなったときは、そのお礼を神前で伝える。 迷い事があるときは、神前でアドバイスを頂けるようお願いする。 何もない時は、生きれていることへの感謝とともに「神様のお役のために、私の体をお使い下さい」と伝える。 1については、長年の願い事がかなったり規模の大きい幸運が舞い込んできたりしたときは、神職さんにお願いして 祈願祭を執り行ってもらいます。一方、日常のちょっとしたことであれば、神前でお礼するだけにとどめております。 2は、神前あるいは参拝の帰り道などで、ふとした「ひらめき」で示してくださるときもあれば、参拝後に引いた おみくじでぴしゃりと言い当てられることもあります。どちらかというと、後者のほうが多いかもしれません。 (ちなみに、おみくじが仮に大凶であっても、神様のお言葉として持ち帰り大切に保管しています。) 3は、自分の願いよりも、神様が願われることを実現するのに自分の魂と体を預けるわけですから、個人的には かなり大きな内容です。実際、これを言い始めてから、不思議な仕事や依頼が増えてきたり、そのような学びを得られる機会に恵まれたりして、 びっくりしています。それ以外でも、会社員としての本業では得意の英語を駆使した仕事で人から認められたり、趣