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瑞巌寺

瑞巌寺は、宮城県宮城郡松島町にある臨済宗の寺院です。 日本三景の一つ、松島の地にあり、天台宗寺院として平安時代に創建された延福寺を起源としていま す。 その後、鎌倉時代に臨済宗の円福寺へと変遷し、 江戸時代には仙台藩主・ 伊達政宗が同じ臨済宗の瑞巌寺として造営、再興しました。 現在の伽藍は政宗の造営によるもので、 本堂には政宗の位牌が安置されています。 また、本堂と庫裡(台所)は、昭和 28 年に国宝指定を受けていま す。 朝廷と武家 延福寺が円福寺を経て瑞巌寺へと変遷していく様は、政権が朝廷→ 武家へ遷移する歴史の流れとおよそ一致します。 まず、起源である延福寺は、第 53 代淳和天皇の勅願を受け、 比叡山延暦寺の第 3 代座主・円仁が 西暦 828 年に建立しました。天台宗の座主が直々に、かつ3000人もの学僧を連れて開山したことから、総本山である延暦寺に並び立つ大寺院として、 奥州藤原氏の手厚い保護を受け発展しました。 その後、奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされると、 延福寺も鎌倉幕府の庇護を受けるようになります。真偽は不明ながら、頼朝の正室・北条政子が 仏舎利を寄進して夫の菩提を弔ったとの記録があり、少なくとも鎌倉時代初期のころは、幕府と 延福寺の関係は良好であったと推測されます。 やがて、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の時代になると、状況が変わります。禅を好んだ時頼は、 武力で天台僧を追い払い、開山から28代400年続いた 延福寺の歴史に終止符を打ちました。その後、禅宗である 臨済宗から法身禅師を住職に迎え、 「円福寺」として再スタートを切りました。 そんな円福寺も、戦国時代末期には廃墟寸前にまで落剝していました。そのような状況下で、 伊達政宗が徳川幕府より松島を含む仙台藩を拝領した際、禅師の勧めもあり、10年ほどかけて新たに伽藍を建立し、名を「瑞巌寺」に改めて再興させました。正宗の死後はその菩提寺となり、瑞巌寺は江戸時代を通じて伊達家の保護を受け続けます。 明治期では、廃仏毀釈による困窮のため、またも廃寺寸前にまで追い込まれますが、明治天皇の下賜金によって復活。戦後は、上述の通り昭和28年に本堂と庫裡が国宝指定を受けた後、日本三景・松島の観光を支える「伊達政宗の廟所」として栄え