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角屋(すみや)、京都島原に残る花街の面影

桃山時代から江戸時代にかけて、栄華を誇った京都の花街、島原。
(前回の記事はこちら

現在は住宅地となっているその一角に、島原の文化を後世に伝えていくことを目的として、当時の揚屋である「角屋」の建築がそのまま保存されています。有料ですが、ガイドさんの説明付きで内部を見学することができます。

島原では、花魁や太夫の生活の場としての「置屋」と仕事場である「揚屋」(料亭)が別になっており、彼女たちは仕事の都度、置屋から揚屋へ出勤していたようです。その揚屋の中でも、この角屋は格式が特に高く、内部のしつらえも大規模な寺院や武家屋敷と同格の調度品を使用しています。ガイドさんによると、角屋が接待する客は、要人から富裕層などそれなりに地位を有する者に限られており、いわゆる「一見さんお断り」が根付いていたようです。

施設内で見学できるのは、併設されている展示室のほか、1階にある台所、座敷2室と中庭、そして2階部分です。1階は主に料亭として裏方(台所と帳場)、そして客をあしらう宴の場に分かれており、一方2階は客と花魁や太夫たちが交流を深める場となっているようです。今回は予約せずに伺ったので、見学できたのは1階部分のみ。2階の見学は完全予約制(+別料金)となっているため、今回は断念いたしました。

 

防災と防犯
料亭というだけあって台所はとても広く、かまどは全部で7つほど。かまどがすべて稼働すると、目の前が見えなくなるくらいあたりは煙が充満するため、天井屋根に換気窓が複数設置されています。また、火災時の用水用井戸を細かく設けることはもちろん、延焼しないようにあえて建物を打ち壊す長刀が常備されているなど、台所が火の元になり得ることに配慮された仕掛けが至る所にみられます。

防犯の観点では、当時は武士をもてなすことが多かったため、酔った勢いで店内が修羅場にならないよう、正面玄関で刀を預けるルールとなっていたようです、その名残として、玄関には傘ならぬ「刀の置き場」、特に上級武士専門の「刀箪笥」が残っています。

玄関の軒先にある柱には新選組による刀傷が残っていますが、同じような傷が店内にはいっさいに残っていないことからも、幕末の動乱にあっても店内では殺傷に発展しないよう店側が気を張っていたことが伺えます。

 

座敷

客のランクや人数によって、宴に使われる場所が奥にある大座敷(松の間)、玄関近くの中座敷(網代の間)に分かれていたようです。格の高い松の間は、松の大木を据えている中庭(伏龍松の庭)に面しており、庭を通じて別棟の茶室へ移動できます。また、換気がよいためなのか、床の間や襖絵の装飾が当時の鮮やかなまま保存されています。特に襖絵は御所や二条城のそれにも匹敵するほど美しく、しばらく見とれてしまっておりました。。。

ここでは、新選組初代組長・芹沢鴨が生前最後の宴を催したことで有名で、芹沢はこの宴の後、壬生の屋敷で暗殺されています。

 一方、網代の間については、もちろん装飾は美しいのですが、襖絵がすすけており、かろうじて面影が確認できる程度です。当時は電気が通っていないので、夜の営業時にはろうそくを使った行燈で照明をとっていました。ガイドさんによると、このろうそくから出る煙によって襖が色あせてしまったとのこと。庭に面し、かつ調度品の保存状態の良い松の間と違い、換気があまり良くないのかもしれません。


西郷隆盛の水桶

明治維新の立役者の一人、西郷隆盛も角屋の利用客であり、彼が使用した水桶が今も保存されています。ガイドさんによると、太平洋戦争中、角屋も政府接収の上廃業の窮地に立たされましたが、この水桶を見た政府関係者が、明治維新に多大な貢献のある西郷どんが利用していた店とあっては無礼を働くわけにはいかないとして、接収を断念したとのこと。角屋ではそれ以来、この水桶は店の守り神であるとして、大切に保管していたようです。

 

角屋へのアクセス

http://sumiyaho.sakura.ne.jp/page/access.html

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