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判官びいきと村八分:安倍元首相殺害事件について思うこと②

 前回の記事をご参照

「かわいそうな死に方をした人」への対応について、前回の記事で述べた。一方、「かわいそうな状況にあるひと」について同情を寄せるのも、日本人のお家芸の一つである。

安倍元首相殺害の容疑者に対し、その薄幸かつ不遇な半生を報道等で知り、同情する人たちが多いと聞くが、それは日本人の意識に根付く「判官びいき」によるものだろう。判官びいきは、「弱い者について、あえて冷静な判断をせず、同情を寄せること」であり、武勲がありながら兄に捨てられ、頼りにしていた奥州藤原氏の裏切りにあう源義経や赤穂浪士の吉良邸討ち入りを描く忠臣蔵が今も人気であることを思えば、国民の間で容疑者に対する同情の念が一定以上湧き上がってくることは無理もないと思う。

一方、突然、残酷な形で命を絶たれた安倍元総理について心を寄せ、昭恵夫人の様子を報じたり、安倍夫妻の在りし日を偲ぶ報道や国民の声も多い。

彼の政治実績を見ると、アベノミクスの恩恵にあずかったものはいるだろうし、長期政権により外交面で安心感を与え、日本の対外的な地位を上昇させたことは評価できる。一方、非正規雇用拡大による格差の助長、安保関連法案制定に関わる強硬的な姿勢や一連の「政治とカネ問題」、特に森友問題においては公文書偽造という民主主義における最大の汚点を招いたことを思えば、いまなお問題点は多い。

彼の政治に対する評価が功と罪にはっきり分かれていることを思うと、彼を偲ぶことも彼を慕う者による「判官びいき」といえよう。


私自身、国民の間で意見が分かれていても、根底には同じ「判官びいき」があるのだから、やはり日本人は日本人だな、と思っている。


この事件を機に、少しだけ刑法の条文に触れてみた。印象としては、「罪人に優しい」というものだ。
根底には「裁くものは罪であって、人ではない」という観念があり、最後まで罪人に更生と挽回の可能性を見出そうとしているように見える。その罪が社会の許容を超え、悪質だというときに極刑がやむを得ない手段として残されているが、判決からすぐに刑が処されるわけではない。というのは、人が罪を裁く以上、その判断が誤っているかもしれないことも考慮しており、たとえ極刑に処されたとしても、合理的な理由があれば、なお再審請求が可能となっているからである。また、その次に重い無期懲役についても、相当の年数は必要だが、受刑者の心からの反省があれば仮釈放される道も残されている。


司法が更生を認めた受刑者に対し、社会が不寛容なことが心配である。現代ではもう、あらゆるところに罪の詳細が確認できる映像や情報が存在し、社会復帰後の情報をさらそうという動きも出てくるかもしれない。司法で裁かれ、すでに罪を償った元受刑者を、今度は社会が裁く形となる。

この国は、秩序を犯した者に厳しい。一度階段を転げ落ちたものに手を差し伸べる寛容さは、法の精神として残っていても、実際の生活で感じられる場面は少ない。明治時代に人権侵害とはっきり裁決された「村八分」の考え方が、戦後の現代でも国を通して今も残っているように感じられる。


それ故に、推定無罪であり、罪人であっても権利を守り、その更生を願う憲法と法律があり、その法治を以て我が国が民主主義国家であることをもう一度認識したい。

容疑者が殺人を犯したのならば、その罪は厳正に裁かれるべきである。それを許し、彼を甘やかすことは社会のためにもよくない。

ただ、彼の更生を司法が認め、この社会にいずれ戻ってくるとしたとき、少なくとも私は寛容でありたい。

先人が、法という形でこの国に残した精神を大切にしたいと思う。

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