古代から、「かわいそうな死に方をした貴人」に対しては、手厚く葬ってきた経緯がある。
概ね、「怨霊となって、世に出てくることが怖い」という当時の人々の死生観・宗教観が基となっている。例えば、失意のうちに死を遂げた菅原道真の怨霊が怖すぎて、時の朝廷は北野天満宮を作り、今でも丁重に祭っている。そのほかにも、非業の死を遂げた早良親王、井上内親王は京都の崇道神社や御霊神社に、日本一の大怨霊と言われた崇徳院に至っては、明治天皇が即位前に自ら配流先の讃岐から京都へと御霊を移し、白峯神宮を創設している。
政治的なイデオロギーはさておき、あのような亡くなり方をされた安倍元首相を国葬に、というのは、怨霊の話はともかくも、古代からのお家芸と思っている。皇位の「万世一系」をうたい、戦後の一時的な時期を除くと、ほとんど外国の支配による政体の変化がなかった日本において、古代も今も発想は変わらないのかな、と。
さて、私個人は、言葉は悪いが内閣総理大臣とは「国民の雇われ社長」という認識しかない。さらに言えば、政府は会社、国民は株主、国会を株主総会、内閣を取締役会だと思っている。
会社組織として、取締役会の決定は会社としての決定となるので、その社員は従わねばならない。ただし、株主はこれに従う必要はなく、会社の決定に不服ならば株主総会で疑義を呈することはできる。株主訴訟により、その決定を差し止めることも出来よう。
この例が正しければ、閣議決定による国葬について政府は従わねばならない。ただし、国民はどうであろうか。
賛成も反対もありきではなく、憲政上の最高決定機関である国会で丁寧に議論すべきではないのか、と思う。私は、国会で決められれば、個人として安倍元首相に対して持つ感情はともかく、粛々とやればいいと思っている。
逆に言えば、そのプロセスを経ず、たかだか取締役会ごときが株主の意見を聞かぬようであれば、国葬には反対する。
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