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オーストリア国立図書館・プルンクサール

オーストリア国立図書館は、首都ウィーンのホーフブルグ王宮内にあり、国内最大となる740万点もの著作物を収蔵している図書館です。ラテン語の原典をドイツ語に翻訳した福音書やハプスブルク家ゆかりの書物などを収蔵していた中世の宮廷図書館を起源としており、国営となった現在でも、帝政時代からの施設と収蔵物を維持しています。

Der Prunksaal (The State Hall)
図書館施設の中で、ひときわ目立つのが「プルンクザール」と呼ばれるホールです。1772年、皇帝カール6世の発願により、バロック様式を用いて王宮内に建設された常設の図書館であり、修復を重ねながら、現在でも使用されています。

中に入ると、まず目を奪われるのが、天上いっぱいに描かれた色鮮やかなフレスコ画と壁面を覆いつくす蔵書とのコントラストです。

奥行80m、高さ20mの空間を取り囲むように収められているこれらの蔵書は、中世時代の約350年間(1501年~1850年)に記されたものであり、全部でおよそ約20万点にのぼります。内容によって、これらの蔵書は「war」と「peace」2つのカテゴリーに分けられ、天井のフレスコ画が示す通り、それぞれの書架に収められています。
(戦いを描くフレスコ画の方にはwar関連、反対側には平和のフレスコ画のもとにpeace関連の書物が収められています。)

また、中央ドーム部天井には、創始者であるカール6世とハプスブルク家の繁栄について説明するフレスコ画が描かれています。


さらに、天窓から注ぎこむ日光が中央部に設置されているカール6世の石像を照らす姿も幻想的で、一歩足を踏み入れると、異世界へワープしたかのような印象を受けます。

世界一美しい図書館とも言われるプルンクザール、ウィーンにお越しの際は立ち寄ってみてください。





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