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石州流の流祖

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茶道石州流ー

流派の名前である「石州」というのは、流祖・片桐石州の名前から来ています。

石州が武家出身で、小規模ながら一国の大名であったこと、のちに徳川家の茶道指南役として取り立てられたことから、石州流は「武家茶道」の代名詞として、今日まで伝統が続いています。


豊臣と徳川の狭間

片桐石州は、もとは貞昌(さだまさ)という名前であり、1605年に摂津茨木(現在の大阪府茨木市)で生を受けました。


伯父の名前は、「片桐且元(かつもと)」。

豊臣家の重鎮ながら、主君・秀頼とその母・淀殿から徳川との密通を疑われ、命を狙われた武将です。

友好関係にあった且元への容赦ない処遇に対し、家康が激怒して大坂への出陣を決意したことから、片桐家は豊臣家滅亡に至る中心的な立場にいたとされています。

この時、且元の人質として、貞昌は徳川方の板倉家に預けられていました。


小泉藩主、そして「石州へ」

豊臣家滅亡後、且元は竜田藩1万石の大名に取り立てられますが、ほどなくして病により死去。長男が家督を継ぐも、1655年、且元から数えて7代目の時代に家系が断絶します。

一方、且元の弟、つまり貞昌の父・貞隆は大和小泉藩1万6千国の初代大名となり、貞昌も正式な跡継ぎとして、19歳の時に幕府より「従五位下、石見守」に叙任されます。

この官職名をもとに、貞昌は「石州」と呼ばれるようになっていきます。

そして1627年、22歳の時に父の死を受け、小泉藩2代当主となりました。


幕府の役人として

石州はもともと、土木関係の官僚(普請奉行)として幕府に出仕していました。在任中は、主に京都・知恩院の再建や関東や東海地方での水害対策などで手腕を発揮しています。

茶道自体は、嗜みとして20歳ごろに桑山宗仙という茶人から学び始めました。

宗仙の死後、28歳のころに知恩院再建のために京都に居を移した後、様々な茶人との交流を通じて自らの茶道を磨き、徐々に茶人としての名声を高めていくこととなります。


44歳の時、3代将軍・徳川家光より声がかかり、将軍家が所有する膨大かつ貴重な茶道具の分類・整理を担います。この功績が諸大名の耳にも届き、茶人としての石州に注目が集まるようになり、茶会などでさらに交流を深めたとされています。


61歳の時、茶道における弟子の会津若松藩主・保科正之(家光の異母弟)の推挙を受けて4代将軍・家綱の茶道指南役となり、その後石州の教えが将軍家の正式な茶道(柳営茶道)となっていきます。

これ以降、石州は幕府の役人としての役目を全て返上し、69歳で天命を全うするまで茶人としての活動に注力しています。

各地での茶室建設であったり、茶の教えを文書にまとめたりと、このころに残したものが現代にまで存続し、我々石州流の教えのもととなっています。


***

片桐石州の人生を見ると、幼年~少年期は伯父・且元を発端とした徳川vs豊臣の争いの中心におかれ、青年~壮年期は茶道はたしなみつつ土木役人として活躍し、晩年期に茶人として花開く、という三段階に分かれています。

ずっと茶人であったというより、嗜んでいたものが将軍をはじめ多くの有力者の目に留まり、茶人として取り立てられていったことがよくわかります。

また、1万6千石という小国の大名に過ぎないのに、その茶道は仙台藩の伊達家など有力な大名家にも影響を与えるなど、片桐家の武家としての地位を石州自らの茶道が凌駕したとも言えます。

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