世の中には、毒をもつ動植物や菌、ウィルスが存在します。
これらの毒に触れた時、腫れや痒みのような軽い症状の時もあれば、最悪の場合に死に至ることもあります。
そして、人間のみが持つ毒というものが存在します。
それは、「言葉」です。
言葉は表裏一体で、人を祝えばポジティブに、呪えば毒気を含んだネガティブなものに変化していきます。
また、自分を守ったり利益を得たりするために、嘘や策略を用いて人々を欺くことも言葉の毒といえます。
自然界に存在する毒は身体的なダメージを与えますが、人間の放つ言葉の毒は、精神や心の汚染へとつながっていきます。
茶で解毒
さて、茶室で供された茶を飲むという行為。
時代劇などでは、登場人物が茶室で茶を服しながら、嘘もなく腹を割って話をする場面が描かれやすいです。
それによって敵同士が和解したり、分かり合ったり、対立は続いてもお互いに認め合ったりと、物語上のスパイスとして茶道が登場します。
私自身も、ストレスや悩みなどで毒気の多い言葉を発する日々が続くと、茶を自服することが多いです。
出来るだけ静かな環境(早朝が多いです)で、しっかりと茶に向き合う。
それだけで、自分の中の何かが整うのを感じます。
「疲れた、もう嫌だ、ダメだ」という言葉が、不思議と「まだやれるかな、大丈夫、なんとなかる」という言葉に変わっていく。周囲の人にも、穏やかに接するようになれる気がします。
点前の稽古に来てくれている方にも、茶道=瞑想のような効果があると言ってくれています。
自力で解毒
どうも、茶道には「人から毒を抜く」効果があるような気がします。
抹茶そのものも薬として貴ばれ、かつては庶民が手にすることもできないほどの高級品でした。化学的にもカテキン、テアニンなどが含まれ、がん発生リスクを低減し、安眠に導く効果があると言われています。
ただ、それだけではない何か。
茶室で、水が流れるかの如く点前を展開する。
無心でその流れに身をゆだねる。
すると、発する言葉からだんだんと毒気が抜かれ、「おいしい」とか「苦い」などの純粋な言葉が出るようになります。
目の前の点前に集中することで、毒のもととなる不安などのネガティブ要素から意識が削がれるようになるためでしょうか。
そして、一旦言葉が純化すると、心にたまった汚れも自分で流せていくようです。
こうしたストレス解消効果は他の趣味やスポーツなどにも言えることなのですが、茶道は特に「静謐な茶室」という異空間で、それほど体の動きを伴わない中で体験することも相まって、より心を解毒する効果が高いように思います。
点前を指南したり、茶事を催したりするなかで、参加してくれた方が自力で自分を解毒していく姿を見るのも、茶人冥利に尽きるような気がしています。
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