コアラのマーチは、私が子供の時から有名なお菓子で、今も店頭に並んでいます。味やコアラのデザインの変化はあるものの、ある意味茶道の主菓子のような、伝統を感じさせる長寿のシリーズですね。
幼いころ、このコアラのマーチを食べるのが少し苦手でした。味はおいしいのだけど、可愛いコアラのイラストが丁寧に描かれているこのチョコレート菓子を口にするたびに、なんだかコアラを殺しているような気がしてならなかったからです。思えば、こんな変なところで感受性を発揮する少年だったように思います。
今もコアラのマーチは食べないし、同じような愛らしいキャラクターを描いた菓子類は、どうも苦手です。さすがに、茶事で高槻名物「はにたん最中」が出た時など、出していただいたものは口にしますが、自分からは手を伸ばしません。
茶道とわたし
さて、そんな感受性こじらせ系おじさんなワタクシ、茶道との相性はぴったりでした。
お点前の一つ一つの作法には、それぞれに意味や実用性がこめられています。また、お客さんに楽しんでもらう一つのショーとしての機能もあり、点前を優雅に見せるテクニックとして作法が磨かれてきた経緯もあります。
ただ、私が茶道の根底に流れる本質の一つとして感じ取っているのが、「道具を大切に扱う」ということ。特に私が属する石州流大口派は、数多くの派閥のある石州流の中にあって、道具の扱い方が事細かいことで有名です。お点前の中でも、道具を愛おしむかのような作法がいくつかあり、それを見た多くの茶人に不思議がられます。「今のお点前、何だった?」と後で聞かれることがとても多いです。
幼いころから行き場をなくしていた感受性、コアラのマーチのコアラたちに愛着を持ってしまう不思議なその感覚が、この道具を愛おしむ茶道の世界にピッタリと合致しました。そこから、茶道の魅力に取りつかれ、早14年。茶名を取り、茶事を仕切り、点前を指南する立場にまでなってしまいました。
小さな子供たちにも茶事を体験してもらう機会もあるのですが、特にこの感受性の部分はお伝えするようにしています。細かい作法は覚えなくてもいいけど、道具は大切に扱うことは覚えようね、という風に。子供たちも最初は不思議がるのですが、私が披露する作法に非日常性を感じ取ることも相まって、深い印象をもって道具に相対してくれるようになります。
そんな人間教育の場にも茶道は開かれているのかなと、ほんの少しだけど、茶道の未来に期待を寄せています。
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