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石州流の流祖② 石州の死後

徳川将軍家の茶道指南役として取り立てられ、武家茶人としては最高峰に上り詰めた片桐石州ですが、意外なことにその子孫は茶の湯を受け継ぐことはありませんでした。 血筋ではなく人柄が受け継ぐもの 石州自身は、特に自分の子息に茶道を継がせようとは考えていなかったようです。それよりも、自分がこれぞと思う人物へと伝授することを重視していたようです。 千利休の血筋が伝える千家(表千家、裏千家、武者小路千家)とは違い、利休の長男・千道安の教えを受けた桑山宗仙を介して侘茶を学んだ自身の経緯に鑑み、石州は血筋ではなく茶の湯を深めていきたい人が嗜めばいい、ということを重視していました。自らの茶を広めよう、茶で名声をなそうということにはあまり興味を持っていなかったようです。 その分、教わりたいという人には惜しみなく自分の極意を伝え、伝えた後はその人の自主性に任せる。そのために、大名家や仏門の人々、自分の家臣から皇族に至るまで、幅広い人物が石州の師事を仰ぎ、学んでいきました。 片桐家自体も、石州から数えて8代目の貞信が新石州流を興しましたが定着していません。また、戦後は様々な変遷を経て、石州流宗家を名乗る2派(片桐家が興した「石州流茶道宗家」と石州の教えを守ってきた家臣家を軸に据えた「茶道石州流本家」)が存在しています。 共存共栄 石州流としては、現在は大まかに、2つの宗家を家元として仰ぐグループ、石州が父親の菩提を弔うために建立した慈光院(奈良県大和郡山市)を中心としたグループ、石州の墓がある京都大徳寺・芳春院を宋元とするグループに分けられます。さらに、仙台藩の流れをくむ清水派や島根・松江藩の松平不味が始めた不味派(不味流)など、独立して継承されていったものもあります。 このように石州流は、石州の名のもとにたくさんの派閥が並立する稀有な流派ではあるのですが、根底にある教えや本質は共有しつつ、様式や価値観を異にするグループ同士が共存共栄、切磋琢磨する形で武家茶道としての伝統を受け継いできています。 こうしてみると、石州の子孫ではなく、石州の茶に触れて感銘を受けた片桐家の家臣や多くの武将、茶人がそれぞれに残していったものが、独立して発展を遂げていったという歴史が、石州流が茶道の世界において独特の存在感を放っている背景なのだと思っています。 茶道の世界において、「石州流に属している」というと、もの...

石州流の流祖

Retrived on 2025/9/3 from https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=54261413 茶道石州流ー 流派の名前である「石州」というのは、流祖・片桐石州の名前から来ています。 石州が武家出身で、小規模ながら一国の大名であったこと、のちに徳川家の茶道指南役として取り立てられたことから、石州流は「武家茶道」の代名詞として、今日まで伝統が続いています。 豊臣と徳川の狭間 片桐石州は、もとは貞昌(さだまさ)という名前であり、1605年に摂津茨木(現在の大阪府茨木市)で生を受けました。 伯父の名前は、「片桐且元(かつもと)」。 豊臣家の重鎮ながら、主君・秀頼とその母・淀殿から徳川との密通を疑われ、命を狙われた武将です。 友好関係にあった且元への容赦ない処遇に対し、家康が激怒して大坂への出陣を決意したことから、片桐家は豊臣家滅亡に至る中心的な立場にいたとされています。 この時、且元の人質として、貞昌は徳川方の板倉家に預けられていました。 小泉藩主、そして「石州へ」 豊臣家滅亡後、且元は竜田藩1万石の大名に取り立てられますが、ほどなくして病により死去。長男が家督を継ぐも、1655年、且元から数えて7代目の時代に家系が断絶します。 一方、且元の弟、つまり貞昌の父・貞隆は大和小泉藩1万6千国の初代大名となり、貞昌も正式な跡継ぎとして、19歳の時に幕府より「従五位下、石見守」に叙任されます。 この官職名をもとに、貞昌は「石州」と呼ばれるようになっていきます。 そして1627年、22歳の時に父の死を受け、小泉藩2代当主となりました。 幕府の役人として 石州はもともと、土木関係の官僚(普請奉行)として幕府に出仕していました。在任中は、主に京都・知恩院の再建や関東や東海地方での水害対策などで手腕を発揮しています。 茶道自体は、嗜みとして20歳ごろに桑山宗仙という茶人から学び始めました。 宗仙の死後、28歳のころに知恩院再建のために京都に居を移した後、様々な茶人との交流を通じて自らの茶道を磨き、徐々に茶人としての名声を高めていくこととなります。 44歳の時、3代将軍・徳川家光より声がかかり、将軍家が所有する膨大かつ貴重な茶道具の分類・整理を担います。この功績が諸大名の耳にも届き、茶人としての石州に注目が集まるようにな...

人間の毒と茶

世の中には、毒をもつ動植物や菌、ウィルスが存在します。 これらの毒に触れた時、腫れや痒みのような軽い症状の時もあれば、最悪の場合に死に至ることもあります。  そして、人間のみが持つ毒というものが存在します。  それは、「言葉」です。 言葉は表裏一体で、人を祝えばポジティブに、呪えば毒気を含んだネガティブなものに変化していきます。 また、自分を守ったり利益を得たりするために、嘘や策略を用いて人々を欺くことも言葉の毒といえます。 自然界に存在する毒は身体的なダメージを与えますが、人間の放つ言葉の毒は、精神や心の汚染へとつながっていきます。 茶で解毒 さて、茶室で供された茶を飲むという行為。 時代劇などでは、登場人物が茶室で茶を服しながら、嘘もなく腹を割って話をする場面が描かれやすいです。 それによって敵同士が和解したり、分かり合ったり、対立は続いてもお互いに認め合ったりと、物語上のスパイスとして茶道が登場します。 私自身も、ストレスや悩みなどで毒気の多い言葉を発する日々が続くと、茶を自服することが多いです。 出来るだけ静かな環境(早朝が多いです)で、しっかりと茶に向き合う。 それだけで、自分の中の何かが整うのを感じます。 「疲れた、もう嫌だ、ダメだ」という言葉が、不思議と「まだやれるかな、大丈夫、なんとなかる」という言葉に変わっていく。周囲の人にも、穏やかに接するようになれる気がします。 点前の稽古に来てくれている方にも、茶道=瞑想のような効果があると言ってくれています。 自力で解毒 どうも、茶道には「人から毒を抜く」効果があるような気がします。 抹茶そのものも薬として貴ばれ、かつては庶民が手にすることもできないほどの高級品でした。化学的にもカテキン、テアニンなどが含まれ、がん発生リスクを低減し、安眠に導く効果があると言われています。 ただ、それだけではない何か。 茶室で、水が流れるかの如く点前を展開する。 無心でその流れに身をゆだねる。 すると、発する言葉からだんだんと毒気が抜かれ、「おいしい」とか「苦い」などの純粋な言葉が出るようになります。 目の前の点前に集中することで、毒のもととなる不安などのネガティブ要素から意識が削がれるようになるためでしょうか。 そして、一旦言葉が純化すると、心にたまった汚れも自分で流せていくようです。 こうしたストレス解...

The Netherlands Trip Day 6 (2): Amsterdam Library

I like reading books and visiting book places, too.  A friend of mine in Japan noticed my Instagram postings on my Dutch trip and suggested me to visit the public library in Amsterdam “ OBA Oosterdok ”. It’s located on the river side around Amsterdam Central Station so I visited on my way back from Delft. Firstly, I was overwhelmed at its stylish interior design; when I entered into the library, a huge atrium welcomed me. Alongside the atrium, there were Wi-Fi-connected desks installed around on each floor. The bookshelves are organized well with subtle kindness helping visitors look for books they would like to read; a bar light installed on  the bookshelves enabling us to see spines of books.  Spaces between bookshelves are enough for a group of people to pass each other at once. A lot of reading booths are installed here and there throughout the library. The library is open to everyone including foreign travelers like me; free visit and free browsing the book. I brough...

コアラのマーチと茶道

コアラのマーチは、私が子供の時から有名なお菓子で、今も店頭に並んでいます。味やコアラのデザインの変化はあるものの、ある意味茶道の主菓子のような、伝統を感じさせる長寿のシリーズですね。 幼いころ、このコアラのマーチを食べるのが少し苦手でした。味はおいしいのだけど、可愛いコアラのイラストが丁寧に描かれているこのチョコレート菓子を口にするたびに、なんだかコアラを殺しているような気がしてならなかったからです。思えば、こんな変なところで感受性を発揮する少年だったように思います。 今もコアラのマーチは食べないし、同じような愛らしいキャラクターを描いた菓子類は、どうも苦手です。さすがに、茶事で高槻名物「はにたん最中」が出た時など、出していただいたものは口にしますが、自分からは手を伸ばしません。 茶道とわたし さて、そんな感受性こじらせ系おじさんなワタクシ、茶道との相性はぴったりでした。 お点前の一つ一つの作法には、それぞれに意味や実用性がこめられています。また、お客さんに楽しんでもらう一つのショーとしての機能もあり、点前を優雅に見せるテクニックとして作法が磨かれてきた経緯もあります。 ただ、私が茶道の根底に流れる本質の一つとして感じ取っているのが、「道具を大切に扱う」ということ。特に私が属する石州流大口派は、数多くの派閥のある石州流の中にあって、道具の扱い方が事細かいことで有名です。お点前の中でも、道具を愛おしむかのような作法がいくつかあり、それを見た多くの茶人に不思議がられます。「今のお点前、何だった?」と後で聞かれることがとても多いです。 幼いころから行き場をなくしていた感受性、コアラのマーチのコアラたちに愛着を持ってしまう不思議なその感覚が、この道具を愛おしむ茶道の世界にピッタリと合致しました。そこから、茶道の魅力に取りつかれ、早14年。茶名を取り、茶事を仕切り、点前を指南する立場にまでなってしまいました。 小さな子供たちにも茶事を体験してもらう機会もあるのですが、特にこの感受性の部分はお伝えするようにしています。細かい作法は覚えなくてもいいけど、道具は大切に扱うことは覚えようね、という風に。子供たちも最初は不思議がるのですが、私が披露する作法に非日常性を感じ取ることも相まって、深い印象をもって道具に相対してくれるようになります。 そんな人間教育の場にも茶道は開かれているの...

The Netherlands Trip Day 6 (1): Delft

To the south from the Hague, there is a town called Delft, which's famous for the Dutch traditional porcelain "Royal Delft".  But the porcelain wasn't my passion to visit there.  From Day 6, my purpose for this trip turned into alchoholic; I went back and forth between Amsterdam and other cities having local craft beer. Delft, combining with Vermeer's brith house (he was born in this town), caught my curiosity to taste its local beer. Hi, there. Delft beer! I googled the town's local beer and found a beer pub called Delftse Brouwers Huis , where the beer is flesh from its own brewary. The server lady came to me for order but I wondered what beer was the best out of their choices on the menu. She noticed me undecided and she recommended me a a set of four craft beer. Each cup of the four is smaller than one glass but enjoy comparing the tasts. I rode on it and ordered Dutch croquette together for my lunch. Yes! The set was a right choice; all of the four were D...

The Netherlands Trip Day 5-(2): the Peace Palace

The Hague or Den Haag reminds me of one thing; International Court of Justic(ICJ). I remember well how excited I was when I firstly came to know this Court as a kid; I thought the Court had huge justice going across the nations to stop any henious events on this planet. How cool this is! Well, I came to realise great complications to achieve the primary objective that ICJ'd had through my education in my graduate school majored in international public administration but name of the Hague spaked my curiosity embedded deep in my childhood memory. Eventually, I decided to visit there. ICJ, where trials are held for soloving conflicts among nations  in a peaceful manner, and Permanent Court of Arbitration (PCA) to arbitrate conflicts among nations, entities and individuals are located in the same building called "the Peace Palace". We can join a guide tour inside when the schedule is open but it was closed when I visited since there was a public hearing about conflicts betwee...

The Netherlands Trip Day 5 (1)-Mauritshuis

The Capital of the Netherlands is Amsterdam but the governmental buildings including the Royal Residence is based in The Hague or Den Haag, the third largest city in the nation. In Amsterdam museum I visited on Day 2, I realized that some of the masterpieces by Rembrandt and Vermeer were placed in Mauritshuis museum in The Hague. I therefore decided to visit there for…the most famous painting to me by Vermeer; Girl with a Pearl Earring. Mauritshuis, the house for Maurits Mauritshuis was originally built in the middle of 17th century as a mansion for Johan Maurits van Nassau, the stadtholder for the Dutch Colonial Empire in Brazil, who came from a collateral family of the Royal Bloodline. Years later, the huis was renovated to a museum in 1822 for art collections possessed mainly by the last Dutch stadtholder Willem V and his son, Willem I-the first King of the Netherlands. The museum itself is not that huge like the one in Amsterdam but possesses three originals by Vermeer out of the ...

The Netherlands Trip Day 4 : Zaanse Schans

One of the eye-catching sceneries in the Netherlands is a windmill. Green glass fields with windmills and goats/cows. It could be a Dutch traditional scene we would imagine. From Amsterdam, we can go to a traditional village called Zaanse Schans; it takes 30 minutes or so by train from Amsterdam Central station. Well, on my Day 4, I decided to visit there. But it wasn’t only me but also other foreign travelers to do so. Like a part of Kyoto, Zaanse Schans has been well developed for sightseeing purpose: there were souvenir shops, restaurants and attractions. The windmills, some of them were out of operation and we needed to pay an admissions for active ones. Of course, the active windmills were a lure for travelers. My first target was to experience the windmill but the clouded travelers staying in a long queue to admission made me skip the windmill first and re-route to the museum. Zaandam, the history of Dutch Indusrialization Zannse museum was not like the one in Amsterdam, where fa...

The Netherlands Trip Day 3 (2):The Dutch Pancake

The Royal Palace was full of antique furnitures and arts. Like the museum I visited on Day 2, I spent several hours to observe the exhibitions; I needed to stay in queune for some rooms/decorations in restricted areas due to some safety reasons (they are used by the Royal familiy when they have some national guests and it should be kept safe).  The result: I really enjoyed the palace but starved when I left. The lunch time came. Traditional pancake It’s quite new knowledge for me to learn that a pancake originates in the Netherlands. Technically, the pancake-like food has been popular in Europe since the ancient Roman time, but the Dutch elevated it to its traditional cuisine called “pannenkoek”. Immigrants brought the pannenkoek on their way to America, and it was shaped to the one we see as an American pancake at present. If I hear the word “pancake”, I would rather think it is a sweat American one; it’s too sugary and sweetened. I’d visited a Hawaiian pancake café in Japan and h...

The Netherlands Trip Day 3 (1):The Royal Palace

On Day 3, I went to the Dutch Royal Palace in the central area in Amsterdam. I don’t know why but I’ve been interested in a court culture in Europe since I was a boy. I majored in European history for my bachelor and got interested in a complex of European history dynamics: from a dynasty to a dynasty, from monarchy to republic, from Roman empire to the Catholic world. Among them, the court culture which was kind of a nest to the classical arts and music we are still enjoying sparks my curiosity; as a Patron, they supported various artists and many masterpieces were born with some financial backup from noble/high-class families. The monarch and its family in European countries were also great supports to the beautiful arts. Moses' Room, the abdication of throne Usually, the new Monarch appears followed by the former Monarch passed away, e.g. the King Charles III of Britain was enthroned followed by death of his mother, the late Queen Elizabeth II. That said, for the Dutch Royal Fam...

The Netherlands Trip Day 2-(2): Rijskmuseum/National museum in Amsterdam

The Netherlands bore varous artists throughout the history and Rijskmuseum has a lot of collections by those Dutch genius. I'd known several masterpieces by Vermeer but I also came to know Rembrandt from reading a Japanese book called " Gairo-wo-yuku(街路をゆく )" or "Walking the road" by a famous Japanese writer Shiba Ryotaro (司馬遼太郎 1923-1996) . Shiba is famous for historical novels but he also travelled around the world and left a series of travel essays. He'd been to the Netherlands twice in 1980s in the middle of the Cold War and wrote about his experiences in one of the essays.  In his book, he mentioned his enthusiasm to Rembrandt's paintings, which sparked my curiosity. Fortunately,  Rijskmuseum has the genuine "Night Watch", one of the famous paintings by Rembrandt, about which Shiba intensively mentioned in his book. The "Night Watch" was under its renovation work; it was hung in a renovation room in the museum's oval room. We...

The Netherlands Trip Day 2-(1): Rijskmuseum/National museum in Amsterdam

You can refer back to the previous articles: ・ Day1 Good Morning, Amsterdam! I didn’t remember when I fell asleep in a hostel. Upon a long flight with some nervousness in a place unknown to me, I was tired to have a deep sleep. I woke up at 2 am in the middle of night, realizing I was a bit sweaty so I took a shower. Well, the water was too cold and didn’t come out of the shower head enough. Like a stream in woods, I needed to scoop up the water with hands. I managed to wash my fair and body somehow but I felt a bit cold, so I went directly back to my bed to get myself warm. I fell asleep without noticing again and regained consciousness at 7 am.  Day 2 began with breakfast search: I should have bought groceries to cook breakfast in the kitchen last night…. Anyways, I put my valuables with my Nikcon D750 SRL inherited by my late father into my daily bag and walked into the downtown of Amsterdam. Into a breakfast journey April 27 was Sunday, so the city wasn’t that busy in the morni...

the Netherlands trip Day1: People with orange colour

The cheapest flight from Japan to Europe is via China in most cases. I flied with C hina Eastern Airline  from Osaka to Pudong Airport and then to Amsterdam. The transit time was just for 1.5 hours at Pudong so I had to rush to the transit process: the arrival dock was a bit far from the transit reception where all of the international transit passengers should pass the passport control and security check. I'm usually carrying a backpack with me without baggage check-in, in which the whole belongings are packed for the entire trip, so I'm a bit nervous for passing my bag into the X-ray to be checked by insepctors anytime. Well,  if they find mines suspicious, I have to open it and show the whole packed items to them: simply, it would be wasting time. This time: all clear, nothing happened. First encounter I'd bought an e-sim for my mobile networking in the Netherlands, so I turned on my smartphone and checked the Google map to map out the route I would take to my hostel whe...

the Netherlands

Japan has a holiday season from the end of April to the beginning in May, which we call “the Golden Week”. During the week, I often travel overseas except for a few years under the COVID 19. This year, I went to the Netherlands.   You may ask why the Netherlands? I always chose a place to go based on the facts; ・ I’m yet to visit ・ financially reasonable air tickets are available; and ・ the place shall be physically distant from Japan (so that I can enjoy the long vacation)   In most cases, I prefer Europe to other areas because I majored in European history for the bachelor degree at my university and I’m interested in arts coming from the medieval Europe. In this context, the Netherlands is a place hitting my heart this time.   To me, the Netherlands is a place of “Huis Ten Bosch”, a theme park for experiencing Dutch cultures, based in Nagasaki, Kyushu. Lending to it, Japan and the Netherlands have been in a good relationship since 1600s AD. At the time, the Shogun at T...

松風の音

茶道の世界では、茶釜から立ち上るお湯の音に特別な意味が込められています。お茶を点てる際、釜の湯がちょうどよい温度に達すると、「松風(まつかぜ)」と呼ばれる独特の音が響きます。 松風の音 「松風の音」とは、茶釜の湯が沸騰直前のほどよい温度(約88℃前後)に達したときに聞こえる、シュンシュン、ヒューという柔らかな音です。これは松林を吹き抜ける風の音に似ていることから名付けられました。この温度でお茶を点てると、苦みもマイルドに抑えつつ茶本来の甘みも引き出すことが出来ます。この絶妙な温度加減を、昔の茶人たちは音で見極めてきました。千利休も、松風の音こそが抹茶を点てるのに最も適した状態だと説いています。 お湯の温度が低すぎると、抹茶とのなじみが悪く、茶筅でしっかりなお湯となじませても、抹茶が溶けきれずダマが出来てしまいます。また、逆に熱すぎると、そもそもお客さんが飲むのに苦労するのもありますし、抹茶の渋みが引き立ちすぎてしまい、苦くてまずいお茶となってしまいます。 「いい塩梅」と松風の音 日本文化では「中庸」や「いい塩梅」といった、極端でないほどよさが重んじられます。松風の音もまさにその象徴。強すぎず、弱すぎず。偏らない姿勢が点前座にいる茶人には求められます。 また、この音が静寂な茶室に広がると、なぜか心地よく感じるものです。茶席は、茶の味だけでなく、こうした自然の演出も楽しむ「総合芸術」の要素があります。点前役にとっては湯の適温を、客人にとっては風流をもたらしてくれるのが「松風の音」です。

茶筅(ちゃせん)

茶道を習っていると、ごく自然に日常の中で使うようになる「茶筅」という言葉。今回は、その茶筅について、改めてご紹介したいと思います。 茶筅とは? 茶筅は、抹茶を点てるときに使う道具で、茶碗に入れた抹茶とお湯を混ぜ、泡立てながらなめらかに仕上げるために使います。素材は主に竹で、1本の竹から何十本、何百本にも細く裂いた穂先を手仕事で整え、糸で形を整えて作られています。 奈良県の「高山(たかやま)」という地域が茶筅の名産地として有名で、高山茶筅は多くの流派で使われています。 糸掛けとは? 茶筅の中心部には「糸掛け」と呼ばれる部分があります。これは、裂いた穂を整えるために巻かれている糸のこと。この糸掛けによって穂が安定し、茶を点てる際のバランスも保たれます。 ほとんどの茶筅では、この糸掛けの糸に 黒色 が使われています。理由のひとつは、茶筅が直接抹茶に触れるため、使用するうちにどうしても汚れが目立ってしまうから。黒色だと、その汚れが目立ちにくいという実用性があるのです。 石州流の茶筅は「白」 私が学んでいる 石州流 では、糸掛けの糸に 白色 を使います。これは、単に色の違いではなく、**「潔白」**という意味を込めたもの。 汚れを隠さない。だからこそ、 汚さないように点前を洗練させる という、美意識がそこにあります。使う道具そのものを清らかに扱い、誠実な所作を目指すという、石州流らしい精神が表れている部分です。 茶筅の「しまい方」にも流派の違いが 出稽古などで道具を持ち運ぶ際、茶筅は茶碗の中にしまいこむのですが、このときの向きにも流派によって違いがあります。 多くの流派では、 柄を上 、 穂先を下 にして、茶碗の中に入れます(穂先が茶碗に接する形)。 ところが石州流では、 柄を下、穂先を上 にして収めます。これには、いくつかの意味があります。 穂先には何も塗られておらず、使い方によってはすぐに汚れてしまう。だからこそ、「潔白である」ことをあえて見せる。 茶筅という道具の形を考えたとき、「胴体」にあたる柄を下にした方が安定する。穂先を下にするのは、言わば逆立ちさせているようなもの。 道具を あるべき姿のまま使う という、石州流の大切にしている価値観を表している。 このように、何気なく使っている道具にも、流派ごとに思想が込められて...

薄茶と濃茶

茶道において、抹茶は「薄茶(うすちゃ)」と「濃茶(こいちゃ)」の二つの飲み方があります。そして、この二つには使用する茶葉にも明確な違いがあります。 薄茶用と濃茶用の茶葉の違い 抹茶の茶葉は「碾茶(てんちゃ)」と呼ばれ、日光を遮った茶畑で栽培され、茶葉を揉まずに乾燥させたものを石臼で挽いて作られます。その中でも、濃茶に使われる茶葉はより丁寧に栽培・選別されており、旨味や甘みが強く、渋みが少ないのが特徴です。一方で、薄茶用の茶葉は比較的リーズナブルなものが多く、さっぱりとした風味のものが主流です。 また、濃茶は少量の抹茶に対してお湯を少しずつ加え、練るようにして仕上げるため、茶葉そのものの味わいがダイレクトに出ます。そのため、上質な茶葉が求められます。逆に、薄茶は泡立てることでまろやかさが生まれ、多少渋みがあっても美味しくいただけます。 初めての点前指導では濃茶用茶葉を 私は、出稽古などで誰かに点前を教えるとき、まずは平点前(薄茶点前)から始めます。その際、最初に相手に飲んでもらう薄茶には、実は濃茶用の茶葉を使います。これは、抹茶そのものの美味しさを純粋に実感してほしいからです。上質な茶葉を使うことで、初めての人でも抹茶の旨味と甘みを感じやすくなります。 その後の稽古では、リーズナブルな薄茶用の茶葉に切り替えます。これにより、点前の技術次第で茶の味が変化することを体感してもらいます。不思議なもので、どんな茶葉でも点前が上達すると、茶の味がまろやかになるものです。私は、その変遷を最も感じやすい茶葉の種類を選び、稽古を進めています。 このアドバイスをくれたのは、ひいきにしているお茶屋さんの販売員の方。濃茶用にも薄茶用にもそれぞれランクがあるのですが、「濃茶用の一番リーズナブルなランクは、薄茶用の最上級品と同じ価格。でも、濃茶用のほうがおいしい」とのことで、「ちょっといい茶席での点前は、リーズナブルな濃茶用を薄茶にすると良い」と教えてもらったのがきっかけです。 先日の茶席では「少し贅沢に」 先日、友人の酒井さんが主宰する京都・当時近くにある茶房「間」で開催した茶席では、お茶屋さんのアドバイスも踏まえ、あえて濃茶用(宇治茶の名門、上林三入さんの「後昔」)の茶葉を薄茶にして提供しました。この日のコンセプトは、「少し贅沢に」。濃茶用の茶葉を薄茶として点てると、甘みと旨味が引き立ち、...

武家茶道

江戸時代から現代まで、茶道はさまざまな流派に分かれて発展してきました。特に、三千家とよばれる表千家、裏千家、武者小路千家が知られていますが、これらは主に町人茶道とされます。一方、武家の中で発展した茶道は「武家茶道」とよばれ、知られる流派には広島を本拠とする上田流や江戸幕府での指南歴もある遠州流があります。この中で、遠州の跡を継いで徳川家4代将軍・家綱の時代より柳営茶道(徳川将軍家の茶道)を担った石州流が武家茶道の代名詞となり、上杉流や伊達流といった、石州のテイストを取り込んで著名な武家で独自に発展したものもあります。 町人茶道と武家茶道の違い 町人茶道は「侘び茶」ともよばれ、千利休の夢見た簡素で純淨な茶の心を重視し、大きな格差を込まずに誰でも参加できる環境を重要視しました。 一方、武家茶道は、利休の残した茶の湯をベースとしつつも、武士の手習いとして発展し、儀礼性が強く、教養の一環として受け継がれました。特に、大名や将軍家では大きな行事の場面で茶が施され、その影響は武家全般に広まっています。 武家茶道の特徴 武家茶道の最大の特徴は、「带刀」を意識した動作です。武士は背後に安全を確保する必要があり、茶室に入る際にも避難線や姿勢を意識します。例えば、町人茶道の多くは左腰に袱紗を引き下げるのですが、武家茶道では実際には帯刀していなくても、常に左腰に刀があると意識して右腰に袱紗を配する流派が多いです。そのほか、私ども石州流では畳の上に手をついてお辞儀するときも、握りこぶしで軽く畳に触れる程度に収めます。これは、畳にじかに触れる手の面積を小さくすることで清潔を保つということのほか、有事の際にさっと動けるようにするという意味合いもあります。さらに、相手の気配を探りつつ死角を作らないよう、お辞儀の際には頭を下げすぎないのも特徴的です。深く頭を下げたほうがマナー的に良さそうですが、頭を下げた瞬間に首をはねられるかもしれないという、当時の武士の危機管理に端を発しています。 私は石州流しか知らないのですが、点前の作法もこれでもかというくらい道具を拭き、洗って清めたうえで茶を点てます。従って、点前の手数は町人茶道に比べるとはるかに多く、でもテンポよく対応するのでダラダラと続くわけでもない。丁寧さとスピード感を両立させるうえで、点前役は相当の集中力を要しますので、小抜けな動作が許されず、自然...

織部焼の湯飲み

茶人として日頃から抹茶に接する機会が多いですが、「茶」という広いカテゴリーの中では、煎茶や玉露も好きです。特に玉露のように甘みの強いものが好みで、多少割高でもついつい手が伸びてしまいます。抹茶は点てる手間がかかるため、どうしても日常的に飲むにはハードルが高いですが、煎茶や玉露なら茶葉を急須に入れてお湯を注ぐだけなので、手軽に楽しめます。 そんな玉露を飲むにあたって、ずっと「これだ!」と思える湯飲みを探していました。抹茶茶碗は茶道の点前で使いますが、ほとんどが陶器、つまり焼き物です。だからこそ、湯飲みも焼き物にこだわりたいという思いがあり(笑)、良いものを見つけるまで妥協せずに探し続けていました。 織部焼との出会い 先日、ふと立ち寄った店で、中古市場に出回っている織部焼の湯飲みを見つけました。箱付きで保存状態もよく、手に取ってみるとずっしりとした存在感がある。茶道でも織部焼の茶碗や菓子器を使用することもあり、なじみのあるものでしたので、しばらくこの湯飲みと対峙していました。 元来、衝動買いをあまりしない性格なのですが、その場でじっくり観察し、手に触れて家で玉露を飲む姿を想像し……と、店先で怪しい妄想を繰り広げること約20分(笑)。手ごろな値段だったこともあり、これは運命かもしれないと購入を決意しました。 織部焼とは 織部焼は、桃山時代に登場した日本の伝統的な陶器のひとつで、茶人でもあった武将・古田織部によって広められたとされています。特徴的なのは、鮮やかな緑の釉薬と、歪みのある大胆なデザイン。一般的な茶器とは異なり、遊び心や個性を大切にする美意識が感じられます。織部焼は、その自由な発想とユニークな造形で、茶の湯の世界に新しい風を吹き込んだ焼き物といえるでしょう。 古田織部は武家茶道のさきがけである織部流の流祖、かつ柳営茶道(徳川将軍家で広まった茶道)の礎を築き、初代将軍・家康、二代将軍・秀忠が織部から指南を受けていたことでも有名です。石州流の流祖・片桐石州も織部の系譜をたどり、四代将軍・家綱の時代に柳営茶道の指南役として出仕しています。石州の茶の湯には、織部の自由な発想や美意識の影響も少なからずあったとされています。ですので、自他ともに認める石州ファンである私の師匠は、結構な数の織部焼の茶器を保有しており、稽古でもよく使わせてもらっています。 なぜこれを選んだのか? ...

抹茶について

茶道で使用する抹茶には、流派ごとに「好み」というものがあります。たとえば、表千家好みや遠州流好みといったように、伝統的に使用される銘柄があるのです。これは、その流派の家元やお師匠さんが長年愛用してきたものが受け継がれた結果といえます。 私の学ぶ石州流にもさまざまな「好み」の抹茶がありますが、特によく用いられるのが、宇治茶の名店 「上林三入(かんばやしさんにゅう)」 と、その兄弟店である 「上林春松(かんばやししゅんしょう)」 です。 上林三入(かんばやしさんにゅう) 上林三入は、室町時代から続く宇治の老舗茶舗で、代々天皇家や将軍家に抹茶を献上してきた歴史を持ちます。その品質の高さから、茶道各流派でも長く愛されており、石州流でも好んで使用される銘柄の一つです。濃茶にも適した、深みのある旨みが特徴です。 しかし、上林三入の抹茶を手に入れるのはなかなか大変です。宇治に本店を構えているものの、それ以外には一切支店を出しておらず、百貨店にも置かれていません。さらに、通販サイトでもほとんど見かけることがなく、本店の公式ホームページでのみ購入できます。ただし、抹茶のシーズンともなると「電話でお問い合わせください」と表示されることが多く、入手のハードルはかなり高めです。 上林春松(かんばやししゅんしょう) 一方、上林春松は、上林三入の流れをくむ兄弟店で、江戸時代から続く名店です。こちらも宇治抹茶の伝統を受け継ぎ、香り高く、まろやかな味わいの抹茶を提供しています。茶道の世界でもよく知られ、多くの流派で愛用されています。 春松のほうは、より手堅くビジネスを展開しており、大手百貨店にも出店しています。さらに、緑茶ドリンクとして有名な「綾鷹」の監修を手掛けていることでも知られています。通販でも比較的手に入りやすく、上林三入と比べると入手の難易度は低めです。 私の好み 私は、三入のほうが好みです。もちろん、春松のお茶もおいしいのですが、初めて師匠に入門したときに飲ませてもらったのが三入のもので、その味が自分の茶道のベースになっているからです。初めて飲んだときのまろやかさと奥深い余韻が、今でも忘れられません。 とはいえ、三入は入手が難しく、普段使いするには手間がかかります。宇治の本店まで出かける必要があるため、日常的には春松で買い求めています。春松の抹茶も品質が高く、入手しやすいので重宝し...

旅茶碗

茶道に欠かせない抹茶碗の中には、「旅茶碗」という種類があります。これは旅先にも持ち運べるよう、小ぶりに作られた抹茶碗のことです。サイズが小さくても、茶道具としての機能性はしっかり備えています。たとえば、茶だまりや高台がきちんと作られており、お点前にも十分使える構造です。 私自身、プライベートでは奈良絵を施した 赤膚焼 の旅茶碗を愛用しています。この茶碗は、コンパクトなサイズ感が特徴で、茶筅を使う際には少し工夫が必要です。茶筅が入りづらい分、力加減を調整しながら点てることで、しっかりとした抹茶を楽しむことができます。また、収納スペースを取らない点も旅茶碗ならではの魅力です。 普段の稽古や茶席では、手指が長いこともあって大ぶりの茶碗を使うことが多いのですが、小ぶりな旅茶碗のかわいらしいフォルムには、また違った愛着を感じます。旅行に持参して特別な時間を演出するのもいいですし、自宅で気軽に使うのもおすすめです。 旅茶碗は、コンパクトさと機能性を兼ね備えた茶道具として、日常の中にちょっとした非日常感を与えてくれる存在です。もし旅茶碗をまだお持ちでない方がいれば、ぜひ一度手に取ってみてください。その小ぶりな形に秘められた奥深さを感じられるはずです。

節分

2月といえば節分。「鬼は外、福は内」と言いながら、鬼に煎り豆を投げつけて邪を払うことが風物詩となっていますね。 幼いころの私は、この鬼が怖すぎて、節分が憂鬱だった記憶があります。それが父親や幼稚園の先生だと分かっていても、鬼の仮面をかぶって襲ってくるふりをされるとギャン泣きしていました。さらに、「豆を投げつける」という行為がどうしても暴力的に感じられて、実力行使ができずに逃げ回るばかり。「豆をあげるから、あっち行って!」と泣きながら豆を差し出していたような子供でした。 大人になってからはさすがに泣くことはありませんが、三つ子の魂百までとはよくいったもの。今でも、鬼は好きで鬼になっているわけじゃないのに、豆を投げつけられてかわいそうだな……と思ってしまいます(笑)。 ちなみに、投げつけられるのは大豆、つまり「偉大な豆」と書くものですが、本来は神様に捧げる神聖なものとして重宝されていました。そのままであれば土に返すと芽が出る可能性があるのですが、あえて煎ることで発芽できないようにしているわけです。このあたりに、なんだか「豆を殺している」ような感覚があり、個人的には少し複雑な気持ちになります。また、「魂」や「鬼籍に入る」という表現に見られるように、鬼という存在は我々の大切な部分を象徴しているのではないかとも思えてきます。そんな鬼を、煎ってしまった豆で退治するという光景が、どうしても私にはしっくりこないのです。 とはいえ、茶道の世界でも節分にちなんで茶会が催され、時節に応じた茶菓子が供されることがあります。鬼の顔をかたどったお菓子や、福豆を模した干菓子など、趣向を凝らしたものが多く、茶席で出されるとつい手を伸ばしてしまいます。 しかし、個人的には節分の際に自分から煎り豆を食べることはほとんどありません。呼ばれた茶席で供されればいただきますが、普段は煮豆や豆大福などをお供に茶を一服するようにしています。甘辛く炊いた煮豆は、なぜか薄茶に合うのですよね。砂糖の甘みと醤油の風味が、お茶のほろ苦さと調和して、心がほっと落ち着く味わいになります。 節分といえば邪気払いの行事ですが、茶道においても、新しい季節を迎えるにあたって心身を清めるという意味では共通するものがあります。だからこそ、形式にとらわれず、自分に合った形でこの行事を楽しみながら、日々の一服を大切にしていきたいものです。

茶道人口の減少

昨年末に地元で、学生時代の後輩と飲みに出かけました。彼は、私が茶道家であることをしっているので、その酒の席で、数年前の茶席での経験を教えてもらいました。 彼は、大学時代の茶道部OBの友人に誘われ、茶道部の現役学生とOBが取り仕切る大寄せの茶会に参加したそうです。茶道初心者の彼が、何とか見様見真似で体験したものの、敷居の高さや作法の難しさ、さらには周囲の雰囲気に押されて、かなり苦労したとのことでした。 例えば、茶席では扇子を携帯するのが一般的です。扇子は、挨拶や金銭の受け渡しの際に敷物として使うなど、礼儀の一環として必要なアイテムです。しかし、持っていなくても別にどうってことはないと私は思うのですが、彼は律儀にも下調べして扇子を携帯したようです。ただ、茶道用の小ぶりなものではなく、普通の仰ぎ扇子を持参したそうで、周囲の人からじろじろ見られ、恥ずかしい思いをしたと言います。 さらに、正座も大きな負担だったそうです。慣れていない人にとって、長時間の正座は非常に辛いものです。気遣いのできる亭主であれば、「脚を崩しても大丈夫です」と声をかけてくれるものですが、今回はそういった配慮がなかったとのこと。それにもかかわらず、茶席は由緒ある寺院で行われ、濃茶席、茶懐石、薄茶席と順々に案内され、一つ一つ丁寧に説明があったそうです。脚の痛みを我慢しながらなのでせっかくの説明も上の空で聞く羽目になり、脚を崩したいことも言い出せず、ひたすら苦しい時間だったと話していました。 この話を聞いて、私は茶道家として非常に心苦しく感じました。確かに正座や扇子といった作法は、茶道を学ぶ者にとって基本の礼儀です。しかし、茶道に馴染みのない人への心遣いや配慮が欠けていたことが、後輩のような初心者にとって茶道が遠い存在に感じられる原因になったのだと思います。 こうした排他的な側面が、茶道人口の高齢化や減少に拍車をかけているのではないかと考えます。茶道は本来、形式や礼儀だけではなく、「和敬清寂」の精神を通じて、人々に安らぎや幸せを提供するものです。しかし、その根幹を忘れ、形式ばかりが先行してしまうと、初心者や若い世代にとっては高い壁となってしまいます。 年末にこのような話を聞けたことは、茶道家として改めて自分のあり方を考える機会となりました。茶席が初心者や一般の方にも楽しめるものになるように、作法や形式に固執す...

新年の「初釜」と「花びら餅」

今日は新年にちなみ、初釜とその時に出されるお菓子:花びら餅についてお話します。 初釜と花びら餅 新しい年の初めに行われる茶席を「初釜」と呼び、これはお茶の世界において、非常に大切な儀式となります。 初釜の際には、新年を祝う意味も込めて、特別な茶菓子が出されます。それが「花びら餅」なのです。花びら餅は、見た目にも美しく、柔らかな餅に花の形をした薄紅色の餡が包まれています。これは新春の象徴であり、正月ならではの風物詩とも言える存在です。 特に京都では、この風習があるようですね。 花びら餅は、正式には「菱葩餅(ひしはなびらもち)」と言いまして、ごぼうとみそあんと菱形で紅色の餅を、円形の白い餅もしくは求肥を二つ折りにして包んだ和菓子です。もともとは、平安時代の宮中で、新年に執り行われた「歯固めの儀」の際に天皇に献上された食べ物が由来とされています。歯が健康=長寿であるとみなし、天皇に固いものを食べてもらって歯を固めることで、長寿や繁栄を願ったとされています。また、「宮中雑煮」とも呼ばれ、天皇や皇族方、公家などの高貴な人々にとっての雑煮としても食されていました。 現在の花びら餅は江戸時代に完成したものがそのまま継承されており、硬いどころか非常に柔らかいものです。ただ、その由来から特に新年にぴったりの茶菓子として、お正月の茶席で欠かせません。その繊細な風味と美しさは、茶の席に華を添えるだけでなく、心を和ませてくれるものです。 私自身、毎年、師匠との初釜(初稽古)では、必ず花びら餅を頂きます。しかし、稽古前に一人でゆっくりと「一人初釜」を楽しむのもまた格別です。家で静かな時間を過ごし、自分で茶を点て、花びら餅とともに自服するひとときは、心からのリフレッシュとなります。今年も、この風情ある時間を楽しみながら、日々の茶道を深めていきたいと思っています。 初釜に限らず、こうした伝統の中で感じることのできる穏やかな美しさが、新年を迎える力強いエネルギーを与えてくれます。今年も、日々の茶道とともに、心豊かな時間を大切にしていきたいと思います。

道具の良さを引き立てるために

私は、背が高くて手足が長く、かといって筋肉もないので、いってみれば「ひょろっと男子」です。でも、その手足のリーチのおかげで、他の人と同じような点前を披露しても、なぜか「立派そうに見える」ことだけは誇っています(笑)。また、手指が細く長いこともあり、よく言えば「優雅に」、冗談めかして言うと「ちょっと女子っぽい?」指の動きで、人々が勝手に感動してくれることがあります(笑)。これまでコンプレックスだった体型が、茶道では有利に働く場面もあるものだと感じています。 茶道具についても同様に、形は様々ですが、点前座にいる私がどのように彼らに触れ、使っていくかで道具の見え方が変わります。使い方次第で、茶道具の美しさを引き出すことができるのです。 例えば、釜から湯をすくう際に使用する柄杓は、円筒状の先端(合:ごう)と取っ手(柄)から構成されます。簡単に言えば「長さのあるおたま」のような形状ですが、柄杓を手に取るときには、できるだけ柄の端に手を添えることで、華奢な柄杓を細く長く見せ、まるでパリコレのモデルのようにスタイリッシュな印象を与えることができます。 一方で、丸みのある茶器に関しては、宝玉を扱うようにゆったりと手のひらに置くことで、その丸みが強調され、愛嬌のある美しさが引き立ちます。 石州流では、このような「道具の見せ方」を意識した作法が多いことも特徴的です。師匠からは、私自身の体型、特に手指の長さは、お点前中に道具をよく見せるための「必殺武器」だと言われています。というのも、柄杓や茶杓のような長さのある道具を取り扱う際、私の長い手指も相まって「道具が生きているように見える」とのこと。それを活かして、自分なりの「優雅な点前」を完成させなさいと、師匠からはしょっちゅう言われています。 茶室という舞台では、主役の茶だけではなく、茶道具も大切なキャストとして引き立たせる役割をお点前さんが担っています。私の場合は親譲りの手足と指の長さを活用していますが、他のお点前さんにもそれぞれの個性があります。それでも、道具をキャストのように扱うことに変わりはありません。 茶席に呼ばれるようなことがあれば、お点前さんがどのような演出をしているのかという点にも注目してみてはいかがでしょうか。