前回、宗像大社のあらましについてまとめました。
北部九州に住む人の多くは、宗像大社の交通安全祈願祭を受けた経験があると思います。
私も、免許取得後の初ドライブ先は宗像大社でした。当時はバックでの駐車も進路変更もうまくできず、助手席に座っていた父親の叱咤激励を受けながら何とかたどり着いた記憶があります(涙)。
さて、宗像大社と沖ノ島、ならびに関連遺跡群は今年、ユネスコの世界文化遺産に認定されました。日本では、22例目の世界遺産です。(文化遺産18例、自然遺産4例)
北部九州に住む人の多くは、宗像大社の交通安全祈願祭を受けた経験があると思います。
私も、免許取得後の初ドライブ先は宗像大社でした。当時はバックでの駐車も進路変更もうまくできず、助手席に座っていた父親の叱咤激励を受けながら何とかたどり着いた記憶があります(涙)。
さて、宗像大社と沖ノ島、ならびに関連遺跡群は今年、ユネスコの世界文化遺産に認定されました。日本では、22例目の世界遺産です。(文化遺産18例、自然遺産4例)
各種報道の通り、認定されるまでに紆余曲折を経ました。そこで、ユネスコが公開している審査書類を紐解き、その経緯を追いたいと思います。
ユネスコ世界遺産
はじめに、「ユネスコ世界遺産」について整理します。観光産業の呼び水のようなイメージをもたれがちですが、本来の目的は、人類にとって後世に残すべき価値を「保全」することにあります。
従って、認定後もどのように史跡を保全しているのかも厳しくチェックされ、不十分であれば、登録抹消となる可能性もあります。
認定に際して、ユネスコの各加盟国が推薦する候補について専門機関が調査・検討した結果に基づき、毎年開催される世界遺産会議にて協議にかけられます。
認定に際して、ユネスコの各加盟国が推薦する候補について専門機関が調査・検討した結果に基づき、毎年開催される世界遺産会議にて協議にかけられます。
この中で、10か条にわたる「世界遺産登録基準」のいずれかに適していると判断されれば、晴れて世界遺産として認定されます。
正式名称:『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群
今回は、沖ノ島(鳥居の役目を果たす周辺岩礁を含む)と沖津宮、大島の中津宮、御嶽山、沖津宮遥拝所、九州本土の辺津宮(宗像市)や、地方豪族・宗像氏の歴代首長を埋葬している新原・奴山古墳(福津市)という複数の史跡を総合した形で、世界遺産に登録されました。
正式名称:『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群
今回は、沖ノ島(鳥居の役目を果たす周辺岩礁を含む)と沖津宮、大島の中津宮、御嶽山、沖津宮遥拝所、九州本土の辺津宮(宗像市)や、地方豪族・宗像氏の歴代首長を埋葬している新原・奴山古墳(福津市)という複数の史跡を総合した形で、世界遺産に登録されました。
しかし、当初ユネスコ側は、沖ノ島のみ世界遺産にふさわしく、それ以外の史跡はあくまで日本でのみ価値が認められるため、世界遺産には含めるべきではないと判断をしていました。
沖ノ島の文化的価値
世界遺産会議の諮問機関ICOMOSは、以下の理由から沖ノ島の文化的価値を認めています。
沖ノ島の文化的価値
世界遺産会議の諮問機関ICOMOSは、以下の理由から沖ノ島の文化的価値を認めています。
- 10万点に及ぶ出土品や島内の祭祀跡により、4~9世紀にかけて沖ノ島が航海安全を祈る宗教的祭祀の場であったことが認められること。
- 出土品には、中国・朝鮮、中央アジアのものも含まれ、当時の信仰や日本と諸外国の関係性、国内外の政治、文化の変遷を窺い知ることができること。
- 類似している他例(広島/厳島神社等)と比較し、出土品の多さからして沖ノ島は類を見ない価値が認められること。
一方、沖ノ島以外の史跡について、以下の理由から世界的・普遍的な価値は見出せず、世界遺産からは除外すべきと結論付けました。
- 考古学的に、沖ノ島での祭祀は9-10世紀に途絶していることがわかる。文献によれば、大和朝廷や地方豪族・宗像市の台頭により、宗像三女神を中心とする国家神道的な祭祀へと移行したことが理由とみられる。
- 沖ノ島での原始的祭祀と宗像大社による神道信仰は、厳密には異なる。また、宗像大社がその古代祭祀の継承と位置づけている現代の祭礼は、過去の例を復興したものであり、「継承」を示す根拠に乏しい。
- 記紀等の古文書には、大和朝廷との関わりの中で宗像大社や宗像氏について言及されているが、沖ノ島での祭祀と直接関係のある内容ではない。
- 宗像大社の神道における重要性は理解できるが、その発展の歴史は、大和朝廷や宗像氏の影響によるところが大きい。つまり、その価値は日本国内の事象に基づくものである。
- 従って、沖ノ島以外の史跡については、あくまで沖ノ島の存在によって成立し得るもので、現時点で調査できる範囲において、世界的に普遍的な価値があるとは認めにくい。
つまり、沖ノ島以外の史跡については、日本側が提示した資料は不十分なため、認定不可とした、というのが当初のユネスコの見解でした。
世界遺産と宗像市
宗像市が世界遺産登録に力を入れてきたのは、一つには宗像大社に対する畏敬と愛着もあると思いますが、やはり観光振興を期待したところが大きいのだと思います。
宗像大社は当初より、世界遺産に登録されても、沖ノ島の祭祀を厳格に守ることを表明していました。即ち、島で見聞きしたことは他言無用、かつ島内のものに一切触れてはならないとする「お言わず様」のルール、女人禁制、ならびに神職や限られた人しか入島させない風習を維持する姿勢です。
このため、世界遺産が誰も行けない沖ノ島だけとなると、観光需要を取り込むという当初の目論見は達成できません。
何より、沖津宮、中津宮、辺津宮の3宮をいずれを欠いても「宗像大社」と成り得ない大切な信仰が世界に理解されないままとなることは、地元の沽券に関わることだったのかもしれません。
全ての史跡が登録されるよう、関係者が一丸となって取り組み、世界遺産会議には宗像大社の大宮司が直接乗り込んで、説得に当たったとのこと。
その努力が実を結び、晴れてすべての史跡が世界遺産となったことは、幼い頃より家族で宗像さんに参拝してきた私にとっても、喜ばしいことでした。
しかし、ユネスコの暫定リスト入りしてからこのかた、参拝者数はうなぎのぼり。毎年の初詣も、渋滞がひどくなる一方でした。
今年の正式登録をうけ、来年の初詣は更に混雑しそうです。、。(汗)
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