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幸せと科学

タイトルを見ると、某宗教団体を思いだしますが、まったく異なる話です。

ひょんなことから、11月の半ばより、カリフォルニア大学バークレー校と香港理工大学、それぞれのインターネット講座を受講しています。授業はすべて英語だし、課題も結構あるので、2大学同時に授業を受けるのは結構ハードです。

何の授業かというと、「幸せとは何か」というものです。

香港の授業は、古代の哲学者から現代の成功者まで、たくさんの方が残している理論や言葉をもとに、幸せとは何かを探る哲学的な内容です。本日、ようやく「アリストテレスの幸福論」についての課題を終了。次は、カントの幸福論です。。

米国の授業は、人が幸せと感じることを科学的にアプローチする内容です。幸せだと感じるとき、人体では何が起きているのか。神経に流れる物質、そして幸せを感じる脳と神経の箇所をつきとめつつ、どんな行動や思考がそのような化学変化を引き起こすのかを学びます。科学英語のオンパレードで、大学院の時以上に脳みそフル回転です。しかし、その変化を起こすための「幸せエクササイズ」も紹介されており、面白くて課題を進めてみたら、こちらは早期に授業を完了。全課題合計100点満点のうち平均で85点をマークし、明日修了書を頂けることになりました。(どや顔)


今年は、とにかく人間関係で悩まされました。でも、その分支えてくれる大切な仲間も多くいることに気が付きました。勝手に善悪を決めて、都合の悪いほうに心を奪われて苦しかったのですが、実は同じだけ恵まれているのだと実感。

そんなこんなで、幸せって何だろうな、と思っていた矢先、きっかけを得て海外大学のオンライン講座を受ける(しかも格安)こととなりました。講座の内容を通じて、今年の出来事を整理している感じです。

学ぶって大変ですが、やはり面白いです。

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