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湯殿山神社

湯殿山神社は、古くから修験道の聖地として栄えた出羽三山(山形県中央部の羽黒山、湯殿山、月山の3岳)を構成する神社の一つです。平安時代の神社リスト「延喜式」には、「由豆佐売神社(ゆずさめじんじゃ)」の名で掲載されています。

主祭神は、山の神・オオヤマツミと出雲の国造り神話で有名なオオナムチ(オオクニヌシの別名)、スクナヒコのコンビ、あわせて3柱の神です。

また、雪により冬季(11月~3月)は閉鎖されるため、参拝は春~秋に限られます。

社伝によると、第32代 崇峻天皇が蘇我氏に暗殺され、息子の蜂子皇子が出羽国に亡命した際、3本足のカラスに導かれて羽黒山にて修行したことが起源とされています。そして、593年に出羽神社(羽黒山)と月山神社(月山)、その13年後に湯殿山神社が創始されました。

俗世からの離脱とむき出しの御神体
標高1,500mの湯殿山自体が神体山であり、神仏習合の時代には真言宗の中心仏・大日如来に仮託されるなど、別格の存在とされていました。修験者は、千日間におよぶ徹底的な修業によって即身仏となることを求めて山中に入ったとされ、他の2山に比べてもその険しさが際立っています。現在でも、その中腹にある神社が全て神域となっており、参拝者は俗世から離れることを示すべく、入り口でお祓いを済ませ、境内では常に下足して裸足のままでいなければなりません。

また、境内には社務所など最低限の建屋はありますが、社殿は存在しません。つまり、御神体がむき出しとなっており、参拝者が直接触れて拝むことができるようになっています。

問うな、語るな
誰でも御神体に触れることができる反面、古くよりその在り様について口外することは禁忌とされてきました。つまり、御神体を含む境内の様子について、参拝した人に問うことも、他人に語ることもNGということです。もちろん、写真や動画の撮影も禁止です。

ヒントは、湯殿山という名前です。その名が示す意味のまま、御神体が存在しています。これ以上を知りたければ、山を登り直接ご覧になる必要があります。

なお、登山となるとかなりの覚悟が必要ですが、現在はレストハウスがある大鳥居まで車道が整備され、公共のバスや自家用車が使用できます。また、大鳥居から境内まで専用バスが出ているようであり、登山しやすい環境が整えられています。

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