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ミシャグジと諏訪大社

「ミシャグジ」


この言葉に予備知識もなく反応される方は、長野県のご出身か神様好きな方のいずれかではないでしょうか。

漢字で「御社宮主」「御左口」と表記されるミシャグジは、長野県の諏訪地方に根差す蛇体の神様です。諏訪といえば、タケミナカタを祀る「諏訪大社」が有名ですが、ミシャグジについてあまり語られることはありません。それは、出雲から諏訪に逃げてきたタケミナカタと争い、ミシャグジが負けたという地元の伝承に関係しています。

タケミナカタ(建御名方)
タケミナカタは、出雲大社の祭神・オオクニヌシの次男で、力自慢の戦神です。ところが、アマテラスの依頼を受けた軍神・タケミカヅチが日本の国土をアマテラス一族に譲るよう迫った時、最後まで抵抗したものの、力及ばず敗走しました。この時、タケミナカタが逃げてきたのが諏訪であり、追ってきたタケミカヅチに対し「諏訪から二度と外に出ない」と誓って、許しを請うたとされています。

この後、記紀ではオオクニヌシが国譲りに応じ、天孫による国土統治へと物語が進むため、タケミナカタについて語られることはありません。一方、地元の伝承によると、この時の諏訪では、二度と外に出ないと誓った以上、何としても足固めをしたいタケミナカタと土着神・ミシャグジによる争いが始まったとあります。

元来、ミシャグジは五穀豊穣を守る農耕の神として祀られていたようです。しかし、争いは戦に長けたタケミナカタの勝利に終わり、ミシャグジは諏訪の守護神としての地位を奪われ、隅に追いやられました。

諏訪大社とミシャグジ社
諏訪大社は、戦神を祀る「信濃国一之宮」として歴代の幕府や武将による庇護を受け発展し、特に武田信玄が深く信仰していたことが知られています。現在も全国に25,000社ある諏訪神社の総本宮として、年始の初詣や観光などで多くの参拝客が訪れています。

神社の形態としては珍しく、諏訪湖を挟んで独立して存在する上社(本宮、前宮)、下社(秋宮、春宮)の2社4宮で構成され、上社にはタケミナカタ、下社にはその妻であるヤサカトメが主祭神として祀られています。

他方、争いに負けたミシャグジは、上社2宮のほぼ中間地点にある守矢家の敷地内(神長官守矢博物館)にひっそりと祀られています。「守矢」は、代々上社の神長官を務め、諏訪大社全体ではナンバー2の地位にいた一族のことです。ただ、その祭祀はタケミナカタではなく、ミシャグジに対して捧げられたものであったとされています。

ミシャグジ社は、木の格子に覆われています。おそらく社殿の保護のためだと思いますが、一説ではミシャグジの恨みがすさまじく、強力な祟り神に変貌してしまったため、簡単に出てこれないように閉じ込めたとも言われています。

とはいえ、社殿に大きな傷みはなく、常に新鮮な卵や酒といった供物が捧げられています。また、地元の歴史書などでは、外来のタケミナカタよりも記載が多いことをみても、現在でもミシャグジが地元の方に大切にされていることがわかります。



御柱祭諏訪大社といえば、7年ごとに行われる「御柱祭」(おんばしらまつり)で有名です。御柱とは、各社殿の四隅に立てられたモミの木柱のことですが、設置後7年目に新しい柱に取り換える決まりになっています。その取り換えの時に催行されるのが「御柱祭」です。

崖から突き落としたり、荒々しく地面を引きずったりと、
新しい柱を痛々しく苛め抜くのが御柱祭の特徴ですが、神域に立てる柱をここまで荒々しく扱う理由の一つに「ミシャグジの恨みを晴らすこと」が挙げられるとの説があります。

その説によると、ミシャグジの恨みを吸い込んだ御柱で社殿を囲むことでタケミナカタに対し、ミシャグジを忘れさせないようにすることが理由なのだとか。

ミシャグジを追いやったタケミナカタ自身も、出雲から追われ、諏訪から二度と外に出ないと約束させられた身でした。このため、自分を追いやった天孫への恨みから、タケミナカタも祟り神であるという見方もあります。御柱は、ミシャグジの力をして、タケミナカタの祟りを封じ込めるためにあるのでしょうか。

御頭祭
諏訪大社の「御頭祭」(おんとうさい)では、鹿の生首やウサギの串刺し、それらの肉や脳を味噌で煮込んだ料理がご神前に供えられます。現代でも毎年催行されている祭典ですが、さすがに今では本物ではなくレプリカを使用するようです。

鹿は、タケミナカタを打ち負かしたタケミカヅチの使い(神使)だとされています。奈良の風物詩である「奈良公園の鹿」は、春日大社の主祭神タケミカヅチが、神使である鹿に乗って遠くからやってきたという伝承に基づいて、放飼されています。

御頭祭でタケミカヅチの神使である鹿を殺し、神前に供える。
もしかすると、タケミナカタの悔しさを晴らす意味があるのかもしれません。

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