菅総理が、先日の長崎での原爆記念式典に1分遅刻したことで、多方面から批判される事態となっています。
また、その遅刻理由も当初は「事務方の調整ミス」でしたが、実際は「会場到着後にトイレに行ったため」でした。
前日に東京でオリンピック閉会式があり、当日は早朝から長崎へ移動、さらにトイレは自然の摂理であるので、仕方ないのではという擁護の声もあります。
また、トイレに行かなかったとしても、会場到着が式典開始の4分前だったというギリギリのスケジュールを思えば、事務方の調整ミスもあったのだと推測できます。
とはいえ、1分でも遅刻は遅刻。
8月6日の広島での式典で、スピーチの一部をすっ飛ばす失態を犯していただけに、この遅刻が式典の軽視、犠牲者/被爆者への不遜と捉えられても、仕方のないことだと思います。
まして、式典中に原爆投下時間11:02の黙とうがあることはあらかじめわかっているわけですから、主催者からすれば、少しの遅れも許容できなかったのかもしれません。
また、最初から素直にトイレを理由にするか、事務方のせいにはせず、しっかり経緯を説明しておけば、受け止め方も違っていたかもしれません。
日頃、菅総理に対して懐疑的にみている私ですが、本件についてはやや同情的です。
というより、そんなことでいちいち批判する人たちに対する、ある種の気持ち悪さを感じます。
何でもかんでも批判すればいいということでもない。
菅総理への批判は、1分の遅刻よりももっと大きなことに向けたいですよね。
コロナ対策、オリンピック、外交、経済。
全てにおいて失速気味の政策やリーダーシップの欠如を批判することはあれど、この遅刻に対して執拗に攻撃しても、何も生まれないような気がします。
まぁ、何を言ってもやってもとやかく言われ、信用されない「オオカミ少年」状態に陥っている菅総理自体がそもそも問題なのですけどね。
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