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法滅尽経

仏教の始祖である仏陀、生きていたころはゴータマ・シッダールタと名乗っていた彼は、自らの死を迎える前に、弟子に自身の死後に訪れる「この世の終わり」がどのようなものなのかを教え伝えています。その内容は、「法滅尽経(ほうめつじんきょう)」という経典としてまとめられていますが、長きにわたって秘されていました。 とても長い経典ですが、ネットでは多くの方が和訳をのせてくださっているので、興味のある方は調べてみてください。和訳の種類によって多少解釈が異なるようですが、概ね以下のような内容が記されています。 仏陀の死後、この世は仏の教えが通用せず、罪深い者たちであふれる「末法の時代」に突入する。 末法の時代の特徴↓ 悪魔が僧侶の身なりをして、贅の限りを尽くし、酒食におぼれ、淫乱を極め、慈悲の心もなく、互いを憎み妬みあう。 仏道を極めようとする修行者を排除し、まともに仏典を理解できない悪僧が、こじつけで無理やりな知識を以て、ただ富と名声を求めて、人民を惑わす。 こうして仏法が滅しようとするとき、女は精進して徳をおさめ長生きする。男は怠け、信心することもなく、淫らな行為にふける結果、精も尽き果て早死にする。 また、世の中においては、作物が育たず、疫病が流行し、死ぬ者が多くなり、生き残った者も苦しむ。官僚は道理に合わぬ税を取り立てるようになり、人々は反乱を起こす。そして大洪水が起き、多くの者は水に溺れ、魚に食われる身となるであろう。 世界は闇にとざされ、仏法の光も届かない。しかし、数万年後には弥勒菩薩がこの世にあらわれ、仏法を以て世界に光をともすだろう。その時には、この世に毒気はなく五穀も豊穣に育ち、人々は健康で長寿の身となるだろう。 誇張した例示や表現も多く、いかにも説法らしい内容なので、オカルト的な「仏陀の預言書」という扱いで、巷では有名なのだとか。確かに、ハルマゲドンみたいな終末思想が好きな方には、人気がありそうですね。 とはいえ、COVID-19で右往左往する今日この頃においては、結構当てはまっているとの印象もあります。では、今が「末法の時代」なのでしょうか。 私は、スピリチュアルなことや超能力、霊能力の類を信じているタイプです。きっと、そちら方面の世界では、救世主的な弥勒菩薩がお出ましになり、世界を光で照らすの...

正しい知識に基づいて、正しく意見しましょう

Covid-19感染拡大に伴い、我が国の政府の右往左往ぶりに国民は踊らされています。一律給付が決まった特別給付金を巡っても、財源を巡りあれやこれやのたまう国会議員たちは、それでも税金で自分たちの収入をしっかり確保する有様。国民の命が政争の具に使用され、もはや機能不全に陥っております。 さて、そんな残念な政府に比して、外国の政府が感染封じ込めのために機能的に動く姿が連日報道され、それを持ち上げる風潮が目立ってきています。 例えば、台湾。今年の1月に国内初の感染者が出た段階で、迅速に関連法律を成立させました。これは、国民の外出規制とそれに伴う刑罰を可能とする、いわば人権侵害にもつながりかねない特別法であり、実際にナイトクラブなど不要不急の外出をした人に100万円近くの罰金を課したりと、本気で法律を運用しています。 「感染を拡大させない」という政府の大義を、国民が甘んじて受け入れた、ということでしょう。その分、手厚い補償もセットにしており、私権制限とのバランスが取れています。 台湾は、国家としての独立性について議論はありますが、もともと中国本土からやってきた蒋介石が主導して建国しています。従って、その中央集権的な政治体制も中国とほぼ同じスタイルだと思います。つまり、議会が決めた政策を実行するには、最終的には大統領に相当する総統の承諾がなければならないし、非常事態には議会や法律の制限を超え、総統が大権を駆使して、決断することができます。 一方で、中国とは違って、表現の自由を含む欧米型の民主主義も取り入れており、普段は国民が自由を謳歌できる反面、今回のような国家の一大事に対して、総統と議会、そして国民が一致団結し、挙国体制を構築できることには、中国と欧米のいいところをミックスし、うまく活用できていたのではと個人的に考えています。 台湾と比較すれば、確かに日本政府の情けなさは、残念な意味で特筆すべきに値する状態です。ただ、単純に比較して「なぜ日本は、こんなに残念なんだ」と述べる最近の風潮に対し、私は少し疑問を持っています。 日本の政治は、君主の大権を著しく制限し、国民から選ばれた代表が政治を主導する英国の議院内閣制を採用しています。この議院内閣制においては、政治の最高決定機関は選挙で選ばれた国民の代理者が集う国会であり、間接的には国民が政治の最高決...

歴史は繰り返す、されども。

さて、唐突ですが、ドイツの近現代史をかいつまんでみます。 第一次世界大戦の敗戦を受け、当時のドイツは巨額の賠償金を背負うこととなりました。そのために国内経済は低迷し、人々は困窮しましたが、当時の政府は無能に近く、そうした市井の声が政治に反映されませんでした。 そんな時、演説上手で人の心をつかむことに長けていたヒトラーが台頭しました。危機や困窮を巧みに利用し、人々の心をつかんでいく。この人ならばドイツを変えてくれる!と人々は熱狂し、彼は圧倒的な支持を得ていきます。これが、後のナチズムの始まりでした。 その後の歴史は、ご承知の通り。 第二次世界大戦、ホロコーストを経てナチズムは徹底的に破壊・否定され、戦後ドイツにおける「反面教師」として、この時代にも受け継がれています。 ナチズムを肯定しようものなら、刑事罰が容赦なく課せられる現代のドイツにおいて今、人々はCOVID-19の感染リスクに恐怖し、ロックダウンによる生活困窮への懸念を抱いています。 そんな、まるでナチズム誕生前夜の雰囲気に似た現状を目の当たりにし、危険な思想の台頭を許してはならない。 政権による手厚い補償、国民へのメルケル首相からのメッセージ。すべてが迅速に実施されたのは、そうした過去の過ちによる深い反省が大きいのかもしれません。 一方、日本では。 危機対応に脆弱なことが白日の下にさらされてしまった政権与党の迷走ぷり、また今は政治的対立を超え、国を挙げて困難に立ち向かおう、という気概を見せず、迷走する与党を批判するだけの野党のだらしなさ。 そして、 東京都知事や大阪府知事のように、一見行動力があり、市井の人々に寄り添っているように見える政治家の対応。 彼らの行動力が、誠のものであればよいのですが、私にはナチズムの台頭のような、その後の日本が恐ろしい方向へ行かないかどうか、というところが懸念されます。危機を巧みに利用する、彼らの姿勢が。。。 次の地方選挙、国政選挙では、私が持つ一票がどれほど重いものなのかを思い知らされます。 歴史は、繰り返すかもしれません。 ただ、同じドイツの鉄血宰相・かのビスマルクは、以下のように述べています。 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」 本来は、自分で痛い目に合う前に、他人の失敗を見て予防しておけ、という意味なのですが、今はその意味を脇に...