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祝いと呪い

日本の信仰における考え方の一つに、「祝い」という考え方があります。「祝う」ことが最も顕著に現れるのが「祝詞(のりと)」です。その名の通り「祝う言葉」であり、種類によって差はあるものの、概ね神様や天皇の安寧、人々の健勝を祝う言葉が繰り返されます。
また、我々の日常生活でも、例えば結婚や出産、進学等の節目において、「おめでとう」等の言葉を相手に伝えます。これも、相手の健勝を願って「祝う」行為です。

一方、「祝い」とは対極的な考え方が「呪い」です。「呪い」については、野村萬斎さん主演の映画『陰陽師』で詳しく描かれています。この映画では、真田広之さん扮する敵が呪いを放ち、野村さんが演じる稀代の陰陽師・安倍晴明がそれを解除するシーンが度々登場します。これらの呪術バトルは見所の一つとして、CGによる派手な表現が施されていますが、呪う者が「何(誰)を呪うか」を具体的な言葉で何度も繰り返し述べていく演出が特徴的でもあります。

「祝い」も「呪い」も、表裏一体の存在で、根本的には同じ事象であるとされています。祝福か怨恨かという感情に違いがあるだけで、そのどちらも言葉の反復によって自分や相手の心に影響を及ぼす行為であるといえます。

私見ですが、ビジネスの世界での「コーチング」や芸能ゴシップなどでよく出てくる「洗脳」も、現代風に形を変えた「祝い」と「呪い」であると感じます。

名前の呪い
この祝いと呪いの特徴が現れるのが、親からもらう名前です。

名前は、その個人が生きている間にずっと反復され続けますから、一番身近な言葉といえます。

良い名前であれば、何度も反復されるうちに名前自体が祝詞となり、恒久的に祝われるという幸せな人生を歩むことができるでしょう。でも、その反対は、想像もつかないほど苦痛かもしれません。

知り合いに、有名なテレビゲームのヒロインと同姓同名の女性がいました。そのゲームがヒットするにつれてクラスメートにからかわれ、耐えられなくなったその方は半ば引きこもりのような状態になっていました。現在は踏ん切りをつけ、結婚されて元気に過ごされていますが、架空人物の影に苛まれる日々はつらかっただろうと思います。

また、キラキラネーム、DQNネームと呼ばれる難読な名前を与えられた子供たちが、他人から必ず言い間違えられ、かつ何度も読み方を確認されるために自信をもてなくなったり、いじめの対象となってしまったりするとのネット記事を読んだこともあります。

よもすれば、親の思いとは裏腹に、名前が「呪い」となってしまうというわけです。

呪いを解く
「夜に爪を切ると、親の死に目にあえない」という、昔からの言い伝えがあります。子供の頃に聞かされて以降、私はかたくなに夜に爪を切らないようにしていました。ところが、いざ父親を見送る立場となった時、あまり気にしていなかった姉と私との間に差は無く、2人とも亡くなる直前まで親の傍にいることが出来ました。

この話は、戦国時代、夜間に城を警備する役目を担っていた「世詰め」がルーツであり、親が亡くなっても持ち場を離れられなかった「世詰め」と「夜爪」の語呂合わせによって生まれた説です。(諸説あります。)

爪、ほとんど関係無いですよね。


呪いを解くというのは、こうして「内容を理解する」ことなのだと思います。怖がって避けようとするほど不気味に見えてしまうのですが、案外その正体は、夜爪の例のように語呂あわせやこじつけであったり、誰も明確に説明できないものであったりと、肩透かしを食らうものなのかもしれません。

他人の言葉などのきっかけによって、「理解を変える」ことが解呪になる場合もあります。前出の「ゲームヒロインと同姓同名の女性」ですが、初めて出来た彼氏(今のご主人)の言葉が、名前の呪縛から逃れるきっかけだったそうです。

ご主人いわく、ゲームヒロインと同姓同名だったことから彼女への興味が生まれ、やがて交際に発展したのだとか。また、交際中もしきりに自分の名前を気にする彼女に対し、「結婚したら、名前なんか変わるやんか」と切り出してプロポーズを成功させたらしい。

キラキラネームについても、同じことが言えます。「いつも他人から言い間違えられる」ことを「会話のきっかけになる」とか、「逆に一度知ってもらうと、他人に覚えてもらいやすい」というふうに、発想を転換すると名前は変わらないのに、呪いが祝いに転じます。

「表裏一体」「根本は同じ」である呪いと祝い。違いは、冒頭に述べた通り、その感情のみです。ただ、呪いや祝いを行うときの感情だけでなく、それらを受けたときに選択する感情も問われるのだと思います。

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