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2月, 2021の投稿を表示しています

痛いのではない、痛みを思い出しただけさ

Gregory Maxwell - From File:Yin yang.png, converted to SVG by Gregory Maxwell., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=364239による 歌手の宇多田ヒカルさんが、自身のインスタライブで視聴者からの質問に答えていた時のこと。海外ファンから、「なぜ大切な方との関係が終わった時に、心が痛むのか?」という、答えに窮するような質問がありました。宇多田さんはしばらく考えた後に、その質問に対して、このように答えるのです。 「その痛みは、もともと持っていたものじゃないのかな。それで、その人との関係は<痛み止め>みたいなもので、その間痛みを忘れていたというか。だから、関係が終わった時に痛みを思い出したのだと思う。」 (宇多田さんは英語で回答されていたので、内容を意訳しております。) ヒット曲を連発する宇多田さん、その感性に改めて脱帽しています。 宇多田さんがご存じなのかどうかわかりませんが、この考え方は易経にある「陰陽」の考え方に通じるところがあります。万物は、常に陰陽、2つの正反対の側面を持つというものです。 太極図 冒頭の陰陽マーク、ご存知の方も多いのではないでしょうか。 黒は陰、白は陽を現し、一つの円に勾玉のような形で陰陽が描かれています。また、陰陽ともに同じ面積であり、一つのものには、1:1の比率で陰と陽がセットになっているという、易経が最も重視する考えを端的に示した図です。 宇多田さんの例をとると、痛みは陰、大切な方との関係を陽としたときに、陽にいる間、もともとの痛み(陰)を忘れていただけ、という見方ができます。   このマーク、正式には「太陰太極図」と呼ばれています。 大いなる陰が大きく極まった時の図、と解釈できますね。 宇宙や海底、母親の胎内。生命が始まった場所はすべて光の届かない闇。「 陰 陽」であって「陽 陰 」ではないことからも、闇の上に光が存在していることがわかります。闇が極まった時、光が誕生する。この「陽転」とよばれる瞬間を切り取ったのが、太極図なのかもしれません。 光ばかり注目される世の中。 多くの人が、物事の良い面ばかりを追いかけていきます。 でも、「光があるから闇」ではなく、闇の中にい...

孤独。違う、それは「ソロ活動」だ。

この写真は、ウィキペディアで「孤独」を検索すると表示されるものです。(引用元は、下にある注釈ご参照) 孤独と聞くと、なんだか淋しい感じがしますね。 英語で言うと「loneliness」(ロンリネス)でしょうか。 しかし、孤独という英単語には、lonlinessのほかに「solitude」(ソリチュード)もあります。日本語では、どちらも「孤独」と訳されるのですが、英語だとニュアンスが違うのです。 学生時代から愛用している「Longman 現代英英辞書」から、それぞれの意味を引用してみます。 Lonelines: unhappy because you are alone or do not have anyone to talk to (一人、もしくは話し相手がだれもいないため、不幸せな状態) Solitude: when you are alone, especially when this is what you enjoy (一人の時。特に、その状態を楽しめている時のこと)   英語の定義からして、明らかにトーンが違いますね。 lonelinessは不幸せなのに、solitudeは一人であることを楽しんでいることが明記されています。しかも、孤独が不幸せな理由として「話し相手がいない」、要するに友達や家族がいない、ということをはっきり言及するあたり、さすがはLongman。わかりやすい。 日本語でも、「孤独」と聞くとネガティブなイメージがありますが、例えば「おひとり様」というと、ネガティブさは薄まるような印象を受けます。前者がloneliness、後者がsolitudeに近いかもしれません。また、solitudeは「ソロ活動」「ソロアーティスト」など、一人で活動するときに使われる「Solo」と語源は同じため、より前向きなイメージが持てます。 最近、Youtubeではお一人様や「〇〇ぼっち」のように、一人暮らしや一人飯のような、solitude寄りの動画の人気が高まっていると耳にしました。 そういう傾向を特集したテレビ番組で、専門家が「日本人には同調意識が強く、ムラ社会の名残で、集団から逸脱すると仲間はずれにされ、孤立しやすい」、「他人に合わせたり、集団行動が苦手な人が、自分は大丈夫との自己肯定感を高めたいという意識」が、お一人様動画の人気に拍車をかけている...

天地ではなく「地天」(易経からコロナを考えてみる)

ニューノーマルとよばれる、コロナ後の新しい生活様式。言い換えると、リモートワークやテイクアウトなどといった、人々の直接的なつながりを抑えるような動きと言えそうです。 コロナ禍はまだ収まっていませんが、仕事やプライベートで直接的な交流が当然とされてきた世の中から、少しずつ変わり始めています。 この「当たり前」の基準が変わっていくことについて、中国より古くから伝わる「易経」を参照してみると、 古代の人はしっかり見抜いていた のでは、と思われる節があることに気づかされます。   易経は、東洋占術の一種です。 万物を「天、沢、火、雷(震)、風(巽)、水(坎)、山(昆)、地(坤)」という8つの要素で表し(八卦)、さらにこれらを上卦/下卦に分け、計8×8=64通りの組み合わせからランダムに選び、その結果を占うことが主な内容です。自然と人間の動きは同一、という考えに基づいています。 八卦の最初と最後は、「天」と「地」。 文字通り、天は空や太陽、地は地面や土を指しており、上卦/下卦の組み合わせでは、「天地」と「地天」の2通りがあります。 この2つ、似ているようで、意味が大きく違うのです。 天=空は上、地は足元という意味で、「天地」は普段我々が目にする光景です。ところが、易経では 「天地」は「否」 、つまり「良くない」と述べています。 反対に、 「地天」、上下がひっくり返った状態を「泰」 、安泰としているのです。   中国では、氣功や風水、方位学の奇門遁甲といった例にみられるように、目に見えない「氣」の流れというものを重視します。易経も同じで、八卦が表す万物には固有の「氣」があり、自然の原理に基づいて、これらが絶えず流動していると考えられています。 この考えによると、天は上へと昇り、地は底へ下るという、正反対の氣の流れがあるとされています。すると、「天地」では氣が交わらず、逆に「地天」だと氣が交わることがわかります。 天:氣の流れ ↑ 地:氣の流れ ↓ →氣は交わらず。「天地否」 地:氣の流れ ↓ 天:氣の流れ ↑ →氣が交わる。「地天泰」 以上から、 「天地」では富める者はさらに富み、卑しき者はさらに身を落とすという二極化を示し、争いが絶えない と考えられるため、「否」とされています。一方、 「地天」は正反対の2つが融合・調和する関係性 だから、「泰」となるわけで...