スキップしてメイン コンテンツに移動

生駒山 宝山寺

生駒山 宝山寺は、奈良県の生駒山上にある真言宗の寺院であり、一般的には「生駒聖天(いこましょうてん)」の名で知られています。本尊は不動明王ですが、「歓喜天」という仏(護法善神)を祀っていることで有名です。

宝山寺のルーツは、修験道の始祖・役小角が655年、生駒山中に開いた修験道場にあり、空海も修業したと伝えられています。但し、宝山寺としての歴史は、役小角の時代から1000年以上経た江戸時代(1678年)、湛海律師が道場を再興する形でスタートしています。


歓喜天
ガネーシャ(※)
歓喜天(かんきてん)は、象の頭と顔、首から下は太鼓腹と四本の腕という体をもつヒンドゥー教の神「ガネーシャ」が仏門に帰依した姿だとされています。ガネーシャは元来、障害をもたらす悪神であったのが、いつの間にやら障害を取り除く神様となり、現在では「富と成功をもたらす神様」として広く信仰されています。

一方、歓喜天としては、はじめに人間の抱えている欲望を叶え、心を落ち着かせてから仏の道に導く仏神とされています。願いを叶えてくれることから、現世利益(自分が生きている間にご利益を頂くこと)を求めて各地で信仰されています。

また、歓喜天は観音菩薩、或いは真言宗の中心仏である大日如来が変身した姿とも言われています。このため、変身前の本体の仏性を示すために「聖天」の呼称が用いられるようになりました。従って、東京の湯島聖天など「聖天」と名の付く寺院は、大抵歓喜天を祀っています。

(※)Retrieved on 2018/6/26 from Wikipedia
   GFDL-no-disclaimers, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=10304

遊郭と歓喜天
(※)
歓喜天を仏像や仏画で表す際、「一対の男女(男女の人間、もしくは雄と雌を区別した半人半象)が抱擁している」モチーフが好まれます。性的な意味合いを持っているため、日本仏教においては秘仏とされ、宝山寺でも公開されることはないといわれています。「歓喜」というのは、人間の欲望の中でも特に愛欲が満たされることを示しているようです。

宝山寺の門前町は「生駒新地」と呼ばれ、かつては遊郭街として栄えました。最寄りのケーブルカー駅(宝山寺駅)から境内まで一直線に続く石段沿いには、当時の面影が色濃く残っています。(当時の建物を利用し、現在は旅館や喫茶店、雑貨屋が立ち並びます。)

亡くなられた歌手・藤圭子さんが歌う『女町エレジー』には、「生駒は哀しい女町」という歌詞があります。また、歓喜天信仰の中には、願望が成就するまでは自分の好きなものをひとつ断ち、失敗すると厄災を被るとされる強い願掛けがあります。欲望の深さの分だけ、失敗すると怖い願掛けのようで、各地の聖天堂がこの願掛けに対する注意喚起を行うほどです。

さらに、昔も現在も夜間参拝が可能であることから、花街に生きた女性が真夜中、好きなものを断ってまで恋焦がれる男との関係を歓喜天に祈る・・・。勝手な想像ではあるものの、何だか昼ドラ真っ青の「女の愛憎」を感じさせますね。

現在は、縁結びの仏様として有名です。

(※)Retrieved on 2018/6/26 from Wikipedia.
   By 不明 - 平安時代の図像集『別尊雑記』(心覚 撰)巻 42より, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3367267

仏様テーマパーク
宝山寺は広大な境内を有しており、本堂や聖天堂以外にも、学問をつかさどる文殊菩薩、芸術や財運を守護する弁財天など、多くの仏様を祀っています。全てのお堂を回るとなると、1時間以上は必要だと思います。

その中でも特に目を見張るのは、本堂/聖天堂の背後にそびえたつ断崖絶壁に鎮まる弥勒菩薩像です。この絶壁は、かつて溶岩が噴出した場所で「般若窟」と呼ばれており、役小角、空海が修行した場所だと伝えられています。昔は弥勒像の目の前まで足を運んで参拝できたようですが、がけ崩れの恐れがあるほか、巨大なスズメバチの巣ができたこともあり、現在は封鎖されています。ご尊顔を直接見ることは出来ませんが、境内のどこにいてもその姿が見えるので、遠くから遥拝することは可能です。

コメント

このブログの人気の投稿

Shaolin Temple Europe: Exploring the Intersection of Tradition and Modernity

In the heart of Germany lies a haven of ancient wisdom and martial arts mastery: Shaolin Temple Europe . My recent trip to Germany, accompanied by a friend who is a licensed Qigong trainer, led us to this remarkable place. For her, the opportunity to delve into the teachings of Shi Feng Yi , the esteemed headmaster of Shaolin Europe, was a dream come true. Visiting the temple was the pinnacle of our itinerary, and after much anticipation, we finally set foot within its hallowed grounds. Although Master Shi was away on a journey to spread his profound knowledge of Qigong and Gongfu across the globe, our disappointment was quickly dispelled by the warm welcome we received from a monk named Miao. Miao, hailing from France, exuded a serene aura that spoke volumes of his dedication to monkhood. His very name, bestowed upon him in the tradition of Buddhism, hinted at the depth of his spiritual journey spanning several years. Despite Master Shi's absence, Miao graciously guided us through...

A Culinary Journey Through Germany: Exploring Delicious Delights

As I reflect on my recent trip to Germany, one aspect stands out prominently in my memory: the exquisite culinary adventure I embarked upon. From hearty classics to delicate specialties, each dish I encountered left an indelible mark on my taste buds and fueled my passion for exploring global cuisines. Join me as I recount my gastronomic journey through the flavors of Germany. Schnitzel: A Crispy Classic The journey began with the iconic Schnitzel, a dish synonymous with German cuisine. Thinly pounded meat, typically veal or pork, coated in breadcrumbs and fried to golden perfection, Schnitzel embodies simplicity and satisfaction. Each bite was a harmonious symphony of crunch and tenderness, leaving me craving for more of this timeless delight. White Asparagus with Hollandaise Sauce: A Springtime Sensation Intrigued by seasonal specialties, I indulged in the delicate flavors of white asparagus paired with velvety Hollandaise sauce. Asparagus, celebrated as a springtime delicacy in Germ...

痛いのではない、痛みを思い出しただけさ

Gregory Maxwell - From File:Yin yang.png, converted to SVG by Gregory Maxwell., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=364239による 歌手の宇多田ヒカルさんが、自身のインスタライブで視聴者からの質問に答えていた時のこと。海外ファンから、「なぜ大切な方との関係が終わった時に、心が痛むのか?」という、答えに窮するような質問がありました。宇多田さんはしばらく考えた後に、その質問に対して、このように答えるのです。 「その痛みは、もともと持っていたものじゃないのかな。それで、その人との関係は<痛み止め>みたいなもので、その間痛みを忘れていたというか。だから、関係が終わった時に痛みを思い出したのだと思う。」 (宇多田さんは英語で回答されていたので、内容を意訳しております。) ヒット曲を連発する宇多田さん、その感性に改めて脱帽しています。 宇多田さんがご存じなのかどうかわかりませんが、この考え方は易経にある「陰陽」の考え方に通じるところがあります。万物は、常に陰陽、2つの正反対の側面を持つというものです。 太極図 冒頭の陰陽マーク、ご存知の方も多いのではないでしょうか。 黒は陰、白は陽を現し、一つの円に勾玉のような形で陰陽が描かれています。また、陰陽ともに同じ面積であり、一つのものには、1:1の比率で陰と陽がセットになっているという、易経が最も重視する考えを端的に示した図です。 宇多田さんの例をとると、痛みは陰、大切な方との関係を陽としたときに、陽にいる間、もともとの痛み(陰)を忘れていただけ、という見方ができます。   このマーク、正式には「太陰太極図」と呼ばれています。 大いなる陰が大きく極まった時の図、と解釈できますね。 宇宙や海底、母親の胎内。生命が始まった場所はすべて光の届かない闇。「 陰 陽」であって「陽 陰 」ではないことからも、闇の上に光が存在していることがわかります。闇が極まった時、光が誕生する。この「陽転」とよばれる瞬間を切り取ったのが、太極図なのかもしれません。 光ばかり注目される世の中。 多くの人が、物事の良い面ばかりを追いかけていきます。 でも、「光があるから闇」ではなく、闇の中にい...