三田誠広氏の歴史小説「道鏡」、「桓武天皇」、「空海」の3冊を続けて読みました。
『道鏡』
道鏡は、称徳女帝の寵愛を利用して権力を握ったとされる僧侶です。彼を主人公とした小説『道鏡』では、無位無冠である皇族の「私生児」として鬱屈とした人生を送っていた道鏡が、出家後に看護禅師として女帝・称徳天皇の傍にはべり、その寵愛を受けて立身出世を狙う。。。というストーリーです。
天皇の地位にありながら不遇な身の上であった称徳天皇が、その寂しさを道鏡にぶつけ、愛欲にはまり込み、最後には道鏡に皇位を譲ろうとまでする「幸薄女の暴走」は艶かしくかつテンポよく、そしてその企みが失敗に終わり、称徳天皇の死によって道鏡の権勢が終わるところは哀愁漂わせる表現で描かれ、最後は夢破れた道鏡が左遷されるところで、物語が終わります。
『桓武天皇』
桓武天皇の人生を、①皇位からは程遠い末端皇族「山部王」として、自由気ままにすごしていた少年期、②道鏡追放後、数奇な運命を経て「桓武天皇」に即位する青年期、③力をつけた東大寺勢力、実弟・早良親王との政治的対立と別れに苦悩する壮年期、の3段階に分けて描いています。
武力に頼らない「聖王」を目指しながらも、弟への思いや家臣の思惑に翻弄される天皇。うまくいかない現実に対して苛立ったり、初恋の幼馴染との失恋を引きずったりと、桓武天皇が人間臭く描かれています。
『空海』
死期を悟った晩年の空海が、弟子たちに自らの半生を語る形式で物語が進みます。空海の回想を通して、讃岐の片田舎で育った少年「佐伯真魚(まお)」が、様々な人と出来事を通して仏教と出会い、唐へ留学して修行勉学に努め、日本を代表する大僧正になっていく姿がテンポよく描かれています。
一方で、少年期に悲恋を経験し、その思いを引きずりながら仏教へと帰依していく姿や、ライバルの天台宗座主・最澄への思いなど、後世に語り継がれる偉大な空海像とは違った「人間・空海」を見ることが出来ます。
3冊とも独立した書籍で、いわゆるシリーズ物ではありません。ただ、同じ作者が同じ時代を別の視点で描いているので、ある物語の主人公が別の物語で脇役として登場することは面白い。例えば、空海と桓武天皇の邂逅。非公式な「私度僧」である若き空海は、真言密教の本拠地である唐に行く許可を得るため、学友の伊予親王(桓武天皇の長男)を通じて、無謀にも晩年の桓武天皇と謁見します。
この光景、『空海』では、天皇に謁見する空海の覚悟と思いが描かれ、『桓武天皇』では、天皇が空海の物怖じしない態度をみて、将来大物になることを予見する、という心情が描かれます。同じように、道鏡、桓武天皇(山部王時代)、空海の邂逅がそれぞれの視点で描かれるので、3冊連続で読むと、面白さが増します。
骨太な歴史小説ながら、短文でリズミカルに綴る三田氏の文章が読みやすいので、苦にはなりません。歴史が苦手、という方にもとっつきやすい本だと思います。
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